音楽(映画・歌・歌謡)
1971年ごろ「アラビアのロレンス」や「ウエストサイド物語」をリバイバルで見て(初見)、「Overture(序曲)」や「Intermission(休憩)」という言葉を知った。今では、どちらも恐竜のように絶滅したが・・・。「アラビアのロレンス」は、田舎から東京の…
映画音楽:アラン・ドロン出演映画④は、三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンの3大俳優が共演して公開当時大いに話題になった「レッド・サン」(1971)。 ⑩「レッド・サン」 日本の侍がアメリカの西部に登場するというので、どんな作りになるの…
アラン・ドロンの映画では「太陽がいっぱい」は別格としても、好みからいえば、お気に入りのトップは「さらば友よ」(1968)。この映画では、ブロンソンの方がかっこよかったが。 あのラスト・シーンのドロンの絶叫は不要ではないかという意見を見たことがあ…
犯罪・ギャング映画投票では、「サムライ」など、アラン・ドロンの出演作品が多数の票を集めた。アラン・ドロンの出演映画の中から代表的な映画音楽を思いつくままピックアップしてみた。①「シシリアン」(1969)※再生不可の場合はこちら: https://youtu.be…
guchさんが「恋愛専科」の記事を書いていたので、負けずに(笑)。同じトロイ・ドナヒュー主演の「避暑地の出来事」(A Summer Place)はいかが。この「避暑地~」も含めて、夏を思い出させる映画音楽5曲というのがあったので、アップした。1)「避暑地の出…
★古い記事にときどきコメントがあることがある。 一気に時を越えて、過去に遡ることがある。6年以上前の記事(http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/57041448.html)にコメントがあった。自分でも忘れていたが、それがきっかけで読み直してみると懐かしい。こ…
1969年、ベトナム戦争も収束する頃、日本では、反戦歌が大流行した。アメリカでは、ジョーン・バエズ、日本では加藤登紀子などが歌っていた。大学紛争がピークを迎え、大学はロックアウト(閉鎖)、休講も続いた。そんな中、戦争に反対してパリで焼身自殺し…
3月2日は、fpdの映画の劇場鑑賞デビューの日(1969年)から46周年となる。映画館で初めて見た洋画が「ブリット」(原題:Bullit、1968)だった。ブリット刑事(スティーブ・マックィーン)のかっこよさと、オープニングから流れる音楽が、洗練さ…
40年は長い。1974年にヒットした「私は泣いています」を歌っていた歌手のりりィと、一昨年大ヒットしたドラマ「半沢直樹」の半沢直樹(堺雅人)の母親役・りりィが同一人物であるということを理解するのに時間がかかった(カップヌードルができるまでの3分く…
歌手の太田裕美がきょう20日、誕生日を迎えた。ブログ友のちっごがわさんの記事で知った。 えぇ~と驚いてしまうが、60歳となったのである。昔、還暦といえば、100%、おばあちゃんのイメージ。 今は、かつての8掛け、といってもいいくらいに若々しい…
今年の紅白歌合戦(第65回 NHK紅白歌合戦)の出場歌手が発表となった。歌手にとっては悲喜交々らしい。そんななか、3人組のPerfumeも選ばれ、7回目の出場という。 紅白もこの十数年、ほとんど見ていないので、関心もないが、昨年、演歌の大御所である北…
(再生不可の場合はこちら:http://youtu.be/0rrc1ucLvyQ ) 若手女優として人気がある剛力彩芽(ごうりき・あやめ)が、「別れても好きな人」を石井竜也と東京デルアミーゴとのデュエットソングとしてカバーする。 「別れても好きな人」は、10月29日に発売…
40年くらい前に、FMラジオを聴いていると、映画音楽のパーソナリティとして関光夫がよく解説していた。1974年の11月の放送(約30分)があった。 40年前だが、声はなじみがある。 「映画音楽-時の流れとともに」 (関光夫、1973年)という本も出し…
公園(恵比寿)も秋の気配(早朝で、まだ人影もない)。 今年の夏は短かったような気がする。昨年のように猛暑による温度を競うようなことにはならなかった。 ”今はもう秋、だれもいない海♪” で始まる「誰もいない海」は、1967年、NET「木島則夫モーニングシ…
郷ひろみ(58)は、20代のころから「50代が楽しみ。その年代に自身をピークに持っていきたい」と語っていたのを思い出す。 1971年にジャニー喜多川にスカウトされ、ジャニーズ事務所に。 1976年には、初主演映画「さらば夏の光よ」で、秋吉久美…
きょうは、恵比寿近くにいたら、老若男女(というより老々男女)が、背中に緑色の「ワッペン」のようなものをつけて、行列で歩いていた。その数、数百人以上だったろう。 よく見たら、「歩け歩け運動」だった。健康には歩きましょうという、ボランティアの参…
1971年にリリースされ大ヒットした「あの素晴しい愛をもう一度」が、最近見た映画「ルームメイト」(2013)の中で、コーラスの歌曲として、挿入されていた。 この曲は、ザ・ピーナッツ、ベンチャーズなど様々なアーテイストによりカバーされているようで、最…
1980年にブロードウエイでミュージカル化された「42nd Street」は、もともとは映画「四十二番街」(原題:42nd Street、1933)を舞台化したものだった。普通は舞台を映画化するものだが、「四十二番街」は逆で、映画がミュージカル映画としてエポックメイキ…
www.youtube.com 元祖・御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)には入らなかった三田明だが、「美しい十代」はヒットした。この歌の当時は10代になったばかりだったが、美しかったかどうか(笑)。 コーラスで聴いてみると、また違った味わいがあっていい。…
アジアで最も活躍した歌手といえば「テレサ・テン」。テレサ・テンが亡くなったのは1995年5月8日、42歳の若さだった。 テレサ・テン(Teresa Teng、1953年1月29日 ‐ 1995年5月8日)、中国名:麗君(デン・リージュン)は、台湾出身だが、台湾のみならず日本…
”アジアの歌姫”といわれた台湾出身のテレサ・テン(Teresa Teng, 麗君)は、1995年5月に42歳の若さで亡くなったが、生きていれば還暦(1月29日で 61歳)を迎えていたことになる。 日本の女性歌手よりも日本人らしい情感のこもった声で、好きな曲が何曲もあ…
今からおよそ30年前、「キネマ旬報」1982年6月上旬号の特別企画★外国映画音楽ベスト・テン★によると、上位20曲は以下の通りだった。 1位 「第三の男」 ★キャロル・リード監督、アントン・カラス音楽★アルプスの民族楽器「ツィター」ひとつで構成されたユニ…
埼玉県・寄居町(よりいまち、fpd出身地・深谷市に隣接)で、「AKB48恋するフォーチュンクッキー」を1,000人で再現しようという催しが開催された。 オリジナルと比較すると、”ダサいたま”の感はまぬかれないが、その純朴さ、意気込みは、評価してください…
【聴きくらべ】いいじゃないの幸せならば きょう、たまたま由紀さおりがパーソナリティを務めるラジオを聞いていたら、1969年に日本レコード大賞を受賞した相良直美の「いいじゃないの幸せならば」について語っていた。 由紀さおりが言うには、その歌詞につ…
映画音楽(洋画)のサウンドトラックというのがあり 懐かしいのでアップした。 今、蘇る名曲全42曲! 「地下室のメロディー」 「シャレード」「モア」 「パリの空の下セーヌは流れる」 そして、あの 「アラビアのロレンス」 「エデンの東」「太陽がいっぱい…
ドラマ「半沢直樹」を盛り上げた要因は、わかりやすい俳優の演技に加えて、あの音楽が大きな要素だったろう。 音楽を手掛けた服部隆之氏(47)は、伝統のあるパリ国立高等音楽院を修了し、1988年に帰国してからは作曲家として活躍。 代表作には「HERO」、「…
あの猛暑はどこへ行ったのか、と思うような、朝はひんやりと肌寒いような過ごしやすい気候となってきた。暑さ寒さも彼岸までというが、23日の彼岸を待たずに、”悲願”の秋の季節になるのだろうか。 ・・・朝のFMラジオ、”NACK5”でかかっていた曲がアリスの「…
「よせばいいのに」(敏いとう と ハッピー&ブルー) ムード歌謡という分野がこのところなくなってしまったのか。今や、AKBや、それに似たようなグループの曲が多い。 1970年代は、敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」(1977)「よせばいいのに」(…
西田佐知子「アカシアの雨が止む時」 1960年代の歌謡曲史上で、独特のハスキーボイスで一世を風靡した西田佐知子。 ぴくちゃあさんが「西田佐知子」(訂正:倍賞千恵子)のミックスリストを紹介していたので、便乗して紹介(笑)。小学生のころ、西田佐知子…
「Gメン75」エンディング曲 (しまざき由理・「面影」歌詞付き)(不可のようでこちら:http://youtu.be/ndGCssGjDzQ) 先日、しばらくぶりに東京・渋谷駅前のスクランブル交差点の先にある「センター街」を通りぬけて、東急ハンズ(Tokyu Hands)に行ってき…