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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

【コーヒーブレイク】新札発行は7月3日。1万円札肖像の渋沢栄一とサッポロビール。

いよいよ渋沢栄一肖像画をデザインした新1万円札が今年7月3日に発行されますね。5,000円札、1,000円札も同時に発行されますが、ここでは、わが(fpd)郷土・深谷出身の偉人・渋沢栄一について。

近代日本経済の父」と呼ばれる実業家、渋沢栄一をデザインした一万円札アメリカで学び津田塾大学を創立した津田梅子をデザインした五千円札破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎をデザインした千円札。3種類の新たな紙幣が今年7月3日に発行が開始されます。

現在の王子製紙サッポロビールなどにつながる企業の設立にも関わり、生涯で設立や育成に関わった企業は、およそ500にも上ると言われています。

 

埼玉県に本社を置く大手スーパー「Y社」の創業者がかつて、郷土の発展に貢献したとして「渋沢栄一」を受賞したこともあり、このほど”祝・新壱万円札”「サッポロビール黒ラベル」の限定販売を開始したのです。早速、購入してきました。

味は「黒ラベル」ですから変わりはないものの、札幌麦酒の初代委員長という遠い昔に思いをはせたのでした。

       

渋沢栄一は、明治から昭和初期にかけて活躍した実業家で、生涯およそ500もの企業の設立や育成に関わり「近代日本経済の父」や「日本資本主義の父」と呼ばれています。

渋沢栄一は、江戸時代の天保11年(1840年)に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ、若いころは、のちに徳川15代将軍となる一橋慶喜に仕えました。

27歳の時には、慶喜の弟で、のちの水戸藩主、徳川昭武随行して、ヨーロッパ諸国を歴訪し、当時の先進的な経済の実情を見て見聞を広めたのでした。100数十年前に外国に行くなど、国際的だったんですね。

明治維新の後、当時の大蔵省に入ったあと、実業家になってからは、現在の「みずほ銀行」につながる日本初の銀行「第一国立銀行」や「東京証券取引所」の前身の「東京株式取引所」、現在の東京商工会議所の前身の「東京商法会議所」など、数多くの企業や団体の設立に携わったのです。

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「5,000円札」の肖像の津田梅子も少し(笑)。NHK ドラマにもなっていましたが、女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立したことで知られる明治から昭和初期にかけての教育家です。

江戸時代末期の1864年に生まれ、1871年明治4年に女性初の留学生の1人として6歳(!)で岩倉使節団とともに日本をたち、アメリカへと渡った。

11年間(!)にわたってアメリカで教育を受けたあと、帰国し、華族女学校の教授を務めた。まさに帰国子女の先駆け。その後、ふたたびアメリカに留学してから帰国し、1900年・明治33年に35歳で女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立した。

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「1,000円札」の北里柴三郎は、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、その治療法を確立するなど、明治から大正にかけて伝染病の予防などに多大な功績を上げた世界的な細菌学者です。北里研究所は有名ですね。

北里柴三郎は、江戸時代の嘉永6年(1853年)現在の熊本県小国町に生まれ、東京大学医学部の前身となる「東京医学校」で学んだ。

卒業後は、ドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者「コッホ」に師事し、1889年には当時不可能とされていた破傷風菌だけを取り出して培養する「純粋培養」に世界で初めて成功。

帰国後は「私立北里研究所」を設立し、インフルエンザや赤痢などの血清開発を続けるとともに、黄熱病の研究で知られる野口英世赤痢菌を発見した志賀潔など多くの弟子の指導・育成に取り組んだ。

大正6年(1917年)には、慶応義塾大学医学科の創設にも関わり、その功績の大きさから、日本における「近代医学の父」とも呼ばれています。

 

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