昨日は、令和の新一万円札の肖像画として使用されることになった近代資本主義の父と言われる渋沢栄一の記念館と渋沢栄一の関連の国指定需要文化財「誠之堂(せいしどう)・清風亭」などを訪問してきた。
渋沢栄一は埼玉県深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の建設・育成に力を注ぎ、日本の近代経済社会の基礎を築いた。その拠点となったのが第一国立銀行であり、明治29年に同行が第一銀行となってからは初代頭取を務めた。
「渋沢栄一記念館」では、新札発行の”ビッグニュース”の影響で、群馬県や埼玉県の車ナンバーが駐車場を埋め尽くしていた。渋沢栄一記念館は地元の八基(やつもと)公民館を兼ねた施設となっている。入口では、”深谷ねぎ”のお膝元であることから「深谷農業王国」の名前で、深谷ねぎの即売も行われていた。
記念館の見学は無料だった。
1階の入口には、大型テレビ(100インチクラス)があり、渋沢栄一のビデオ紹介がおこなわれ、見学客は熱心に見入っていた。このビデオを見れば、渋沢栄一の人物像が詳しく分かる。
資料室入口には、渋沢栄一の等身大のフィギュアが立っていた。
内部は撮影不可。2階には、渋沢栄一の肉声が聞けるコーナーもあった。
公民館でもあり、記念館に隣接してバスケ・コート
施設の裏手に回ると、案外来客が見過ごしがちだが、
渋沢栄一の
銅像がある。実はこの蔵道は、
深谷駅前にあったものだが、身長が低く(151センチ)で、小太り(というよりずんぐりむっくり?)という印象が強く、
深谷駅前の
銅像は胸像に変更された。そのため、あまり目立たない記念館のう後ろ側に移動した。向きも、
群馬県の
赤城山方面を向いているのである。
会場入口には、
渋沢栄一のゆかりの場所のMAP&情報資料が自由に持ち帰れる。
中山道の宿場町として知られる
深谷宿などの資料を含む「
中山道の旅」といったガイドブックもある。
「
渋沢栄一記念館」から1キロ程の大寄(おおより)という地域に、
渋沢栄一ゆかりの「誠之堂・清風亭」というところがある。
誠之堂(せいしどう)は、大正5年(1916年)、
渋沢栄一の
喜寿(77歳)を記念して、第一銀行行員たちの出資により建築された。「誠之堂」の
命名は、栄一自身によるもので、、
儒教の代表的な経典の一つ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)にちなんでいる。ステンドグラスなどが目を引く。
1万円札効果で、来館者が急増したという。
平成29年には
天皇皇后両陛下が、訪問された。中庭には記念植樹が植えられている。
渋沢栄一の「
喜寿」を記念して「
喜寿」の文字が。
清風亭は
南ヨーロッパ風の建物↓。
これは敷地内のマンホール。なんお変哲もないが、小さなテープがある。
よく見ると、下の写真のように「SP」の文字が見える。これは、
天皇皇后両陛下が訪問される前に、マンホールなどを「SP」が確認したというもの。
厳重の上にも厳重にセキュリティが行われている。