まもなく新元号「令和」の時代に突入し、日本の1万円札などの紙幣も新たな肖像画による新紙幣が発行されることになった。1万円札の肖像は福沢諭吉から渋沢栄一になる。昭和59年(1984年)に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更。「平成」の30年間を飛び越えて、2024年とするとおよそ40年ぶりの変更ということになる。
なお、5000円札の肖像は15年前の2004年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像も同年に夏目漱石から野口英世に変わっていた。5000円札は津田塾大学を設立した津田梅子に、1000円札は、近代医学の父と言われる北里柴三郎となる。
政府は数年後(2024年予定)をめどに、1万円札、5,000円札、1,000円札の紙幣の肖像画を変える準備に入った。
■1万円札:渋沢栄一。
第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家、渋沢栄一となる。現在の埼玉県深谷市の豪農の出身である渋沢栄一の肖像画となることで、深谷市にある「渋沢栄一記念館」を訪れる人も増えるのではないかと期待が高まる。
fpdの実家から500メートルの距離にある「渋沢栄一記念館」(写真)は、今週末の4月13日(土)に訪問予定。小学校の同窓会に参加するついでに訪問したい。
■5000円札:津田梅子。
■1000円札:北里柴三郎。
1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎の肖像画を使用することを検討しているという。日本が誇る世界的な医学者・北里柴三郎は、嘉永5年(1853)総庄屋・北里惟信の長男として北里村(現小国町北里)に生まれた。
熊本医学校、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)。これは前人未踏で、世界の医学界にその名をとどろかせた。
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめた。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設。日本の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献した。
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熊本医学校、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)。これは前人未踏で、世界の医学界にその名をとどろかせた。
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめた。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設。日本の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献した。
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