昨日の11月11日は、渋沢栄一の命日だった。
渋沢栄一は1840年3月16日、現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)に生まれ、1931年11月11日に満91歳で亡くなった。幕臣から官僚になり実業家として、近代日本の企業の礎を築いた。教育者でもあった。
江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)にに取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となった。その後、大倉大輔、井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行(のちの第一勧業銀行で現・みずほ銀行)や理化学研究所、東京取引証券所といった多種多様な会社の設立、経営に関わった。その一方で、二松学舎第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めたほか、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力した。
それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。
また、「論語と算盤(そろばん)」を著すなど論語を通じた経営哲学でも広く知られている。令和6年(2024年)より新紙幣「一万円札の顔」となる。また、令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定。
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命日の11日、地元の深谷市内では様々なイベントが開かれた。
市内の小学校では、児童約530人を前に渋沢栄一の孫でエッセイストの鮫島純子(すみこ)(97歳)が渋沢の功績や家庭人としての姿を語った。
鮫島さんは、渋沢の三男の次女。「孫にアメをくれる普通のおじいちゃん。最後も神様のような静かな亡くなり方だった」と語った。市内では、JR深谷駅前の銅像で顕彰団体による献花式が行われた。
煮ぼうとう
また、市内の29の全公立小学校(fpd出身の小学校も含む)で、渋沢栄一が好んで食べたとされる「煮ぼうとう」などを献立にした給食が提供された。
実家に帰った時には、必ず「煮ぼうとう」だった。
おふくろの味、というより”かあちゃんの味”
コンビニでも買えるようで、たまには煮ぼうとうが食べてみたい。
■参考:「渋沢栄一の論語と算盤」編…「中田敦彦のYoUtube大学」