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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

【コーヒーブレイク】「渋沢栄一の再発見~さいたま市のなかの渋沢栄一」イベントに参加。

  

渋沢栄一の再発見~さいたま市のなかの渋沢栄一」というイベントが大宮に1年半前に完成した複合商業施設内にある「さいたま市民会館おおみやレイボックホールで開催されるというので、きのう覗いてみた。


まさに、再発見の多かった催しだった。深谷市出身の偉人・渋沢栄一さいたま市と何か関連しているのかと思ったが、大いに関係があった。

渋沢研究会主催のシンポジウムということで、堅苦しいかと思ったら、やはり堅かった(笑)。主催者の渋沢研究会の運営委員の鮫島員義氏は渋沢栄一の玄孫(やしゃご:孫の孫)で、あいさつ。


共催のさいたま市の市長、深谷市の市長のあいさつがあり、基調講演さいたま市のなかの渋沢栄一」(老川慶喜立教大学名誉教授・前大宮盆栽美術館館長)があった。講師の名前が徳川家と同じ「慶喜」で、父親は「栄一」だが親戚ではないと笑わせた。


さいたま市清水市長によると、さいたま市は4つの文化(「鉄道」「盆栽」「人形」「漫画」)に注力していて、この分野の専門家(学芸員、大学教授など)が、それぞれの分野と渋沢栄一との関連について報告した。


「鉄道」の報告では、15分の話が終了すると「自動的に消滅します」(ミッション・インポッシブル」の観すぎでは?笑)と笑わせたが「15分の話の中では、いっさい笑いが起こることはありません」と語った。

渋沢栄一日本鉄道(現JR)の理事委員から取締役(現在の社外取締役に相当)を務めたという。渋沢栄一が起こした会社は500社を数え、支援した団体などは600に及ぶという。


「盆栽」では、渋沢栄一は、盆栽を趣味としてでなく、外国からの要人に対しておもてなしの精神で盆栽を提供したという。これは、友人であった大隈重信が盆栽愛好家であったことなどの影響とされる。飛鳥山の渋沢邸の敷地内には盆栽があったことが示されている。


さいたま市は盆栽町としても知られ、外国からの盆栽見学者も多く、なかにはイギリス人と中国人が弟子入りしているという。


「人形」では、日米人形交流があり、渋沢が87歳の時にアメリカから青い目の人形贈られたことに対して、日本からは答礼人形が渋沢を介して贈られたという。さいたま市岩槻(いわつき)区にある「岩槻人形」が有名で、岩槻人形館がある。


「漫画」では、漫画家の北沢楽天と渋沢の間に交流があり、「東京パック」という雑誌には、1905年~1909年までの間に北沢による漫画で、渋沢栄一は10回登場している。八面六臂の渋沢栄一の絵などがよく知られている。

手に持っているモノにはそれぞれ意味がり、じょうろ=円滑。のこぎり=分割、新聞=愛読、ハンマー=打破、フライパン=人選…など。


北沢の終(つい)の棲家の跡地には「漫画会館」ができ、北沢と渋沢が並んだ写真が飾られている。現在、漫画会館で「北沢楽天」展示会が開催されている。先日、駆け足で訪問した。

渋沢栄一の地元出身のfpdも知らないことだらけだった(笑)。”勉強になった”

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飲食街を歩いていたら、「まぐろ解体ショー」が行われていたので、野次馬根性でパチリ。

        「さあ、始めるよ~!」「よっしゃぁ~」

 

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ランチは、てっとりばやい「中華丼」(日高屋)だった。

 

 

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