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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「大鹿村騒動記」(2011)</span>


 
 
大鹿村騒動記」(2011)は、2011年7月公開の映画だが、公開3日後に主演の原田芳雄が亡くなったことから、原田芳雄の遺作となった。
 
村の伝統的な歌舞伎を舞台にしているということで、歌舞伎は食わず嫌いで、映画は見逃していたが、原田芳雄の遺作でもあり、キネマ旬報日本アカデミー賞での評価も高かったので、見た。
 

 
大鹿村(おおしかむら)は、長野県下伊那郡に実在する村で、300年以上続く大鹿歌舞伎の伝統を守り抜いている。その歌舞伎を題材に、笑いあり涙ありの物語が展開する。村民役300人がエキストラで参加している。
 
 
・・・
風祭善(ぜん)(原田芳雄)は、大鹿村鹿肉料理の食堂「ディア・イーター」を営んでいる。善は、300年以上前から伝わる大鹿歌舞伎の役者でもある。
 
定期公演を間近に控え、仲間と稽古をしているところに、能村治(おさむ)(岸部一徳)と風祭貴子(大楠道代)が現れる。善と治は幼なじみ、善と貴子は夫婦であるが、3人でディアイーターの営業を始めようとした矢先、治と貴子は東京へ駆け落ちしたのであった。
 

 
18年前のことである。
しかし、貴子には記憶障害があり、治は貴子の面倒を看ることができなくなったのだ。治の「善ちゃん、どうしようもなくて。返す。」という言葉に、善は激怒し治を殴りつける。善は、結局、2人を自宅へ泊めることになる。
 
貴子は、駆け落ちしたことはおろか、善のことも忘れており、記憶障害のため料理も満足にできない。しかし、18年前に自分が演じていた歌舞伎のセリフだけはしっかりと憶えている。
 
そんなとき、大鹿村を台風が直撃し、村内で発生した土砂崩れに巻き込まれて、定期公演に出演する役者(佐藤浩市)が大けがをする。そのため、貴子が代役として出演することとなった。
 

 
定期公演は、善と貴子の息のあった熱演により無事終了した。貴子は記憶を取り戻し、善は過去を清算して、元通りの2人に戻るかに思えたのだが・・・。
 

・・・
ラストシーンでは、すべて記憶が戻り、地元に残ると思ったが、貴子は治のことを善と思って「善さ~ん」と治を追いかけるのだった。
 
取り残された善は、あっけにとられて、ひとこと。
 
                        「あれ?」
とぼけたエンディングだった。
 
・・・
村役場の総務課の織井美江役の松たか子は、出番は少ないがうまい。
台風情報などを村民に伝えるため拡声器でアナウンスをするのだが、話し中にパソコンのメールが入ったことを伝える「メールだよ。メールだよ」の音声に「きっ」としてなんでこんな時にといった、険しい顔つき!。
 
美江は、地元では「みっちゃん」と呼ばれているが、恋人のたかおは東京に出ているらしく、善がみっちゃんに言う。「都会の絵の具に染まって帰ってこない♪」と木綿のハンカチーフの歌詞をもじって口ずさむと、「なにそれ」というのがおかしい。
 
美江は、「東京に行って、東京と私のどっちを取るか確かめてくる」とバスに乗る。
バスの運転手(佐藤浩市)は、かねてから好意を寄せていた美江がバスに乗り込んできたので、「どこへ行く」と聞くと、「東京へ」と答える美江。
 
「行かせねぇ」「どうして」のやり取りの後、運転手が「好きだからだよぅ~」と寅さんの口調で言うのも笑わせる。
 
善(原田芳雄)のセリフの中で、18年ぶりに村に戻った治(岸部一徳)としばらくぶりにあった後、独り言のようにつぶやく。 「治ちゃんも老けたな。昔は、ビートルズの格好で、髪もこんなに・・・」と岸部一徳ザ・タイガースの一員であったことをほのめかすようなセリフもあった。
 
原田芳雄岸部一徳といえば、テレビ・ドラマ「不毛地帯」で、近畿商事の大門社長、
里井専務(のちに副社長)のコンビだった! このビジネス戦争の中で戦っていた重厚な二人だったが、「大鹿村騒動記」では、年取った田舎のおっさんという役柄で、役者の演技の幅の広さをうかがわせた。
 
佐藤浩市三國連太郎の親子の共演でもあった。
物語上の直接の絡みはないが、松たか子の父親役が三國連太郎だった。
三國も、この映画の後に出演した「わが母の記」(2012)が遺作となった。
 
このほか、石橋蓮司、でんでん、小倉一郎瑛太などの芸達者が出演している。
 
・・・
原田芳雄は、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。
岸部一徳は、優秀助演男優賞を受賞。
 
コメディとしては面白いが、全体的に軽いノリの映画で・・・。
 
★★
 
 
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