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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「突入せよ! あさま山荘事件」(2002)</span>



 
突入せよ! あさま山荘事件」(2002)を見た。がやがや騒々しい会話が多く、聞き取りにくかったりして、内容もいまいちだったのが残念。
 
あさま山荘事件」当時、事件を担当していた佐々淳行が書き記した著書「連合赤軍あさま山荘」事件」を映画化したもの。
 
事件に関わった警察官達の思いや姿、警察庁長野県警との水面下での対立、そして東
京にいる警察庁幹部と長野の現地に居る佐々淳行との意見の対立を描いたヒューマンドラマ・・・ということだが・・・。
 
警察サイドの視点からのみ描いたことで、犯人側の考えや姿はまったく分からず、混迷を極める捜査が続く中、地位や名誉ばかりを気にする一部の警察官の姿、そして彼等とは対照的に命を賭けて事件に挑む勇気ある警察官の姿が映し出されていく。
 
72年に実際に起こったあさま山荘事件を題材に、その顛末を警察サイドから描き出した群像ドラマ。監督・脚色は「狗神」の原田眞人
 

今からおよそ40年近く前の1972年、あさま山荘事件が起きたときは、その映し出されるテレビの映像を日本中が注目した。
 
警察隊によるクレーン車を使っての大きな鉄球が、山荘の壁に打ちつけられる映像は、今でも鮮明に覚えている(NHK視聴率は、89.7%)犯人グループが、カップ・ヌードルを食べる場面が映像に流され、カップ麺が一躍有名になったことでも知られる。
 
そもそも、あさま山荘事件とは・・・。
 
昭和47年(1972年)2月19日に、長野県軽井沢の保養所「あさま山荘」で発生した、連合赤軍のメンバーによる立てこもり事件。
 
がけ地に立つあさま山荘は、守るに易く、攻めるに困難な構造。零下15度にもなる猛烈な寒さが、包囲を長引かせることになった。また、人質の人命が最優先された結果、作戦の進行は慎重に慎重を期すことになった。
 
2月28日に解決するまで、10日間、約219時間にわたり、管理人の妻を人質に立てこもった。死者3名(うち民間人1名)、27人が重軽傷を負った。
 
犯人側からは散発的な銃撃。警察側からはメガホンによる投降の呼びかけ、家族による説得、催涙ガス弾や放水などが作戦として行われ、10日目には鉄球による山荘の破壊が行われた。
 
時代背景としては、全共闘による大学闘争敗北後、一般の学生たちは政治運動から離れていったが、一部のセクトは過激化し、武装闘争による革命を志向した。
 
その中心となったのが赤軍派で、70年3月よど号ハイジャック事件を引き起こした。
71年3月にはパレスチナ闘争との連帯を求めるが、相次ぐ幹部やメンバーの逮捕で弱体化。そこで、山岳アジトや武器を確保していた京浜安保共闘とともに武力革命を目指すことに合意。ふたつの組織の連合体として、71年12月20日ごろ、総勢29名からなる連合赤軍が結成された。

 
72年2月19日、長野県南軽井沢のあさま山荘に、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に取り、立てこもった。警察庁長官・後藤田の特命により丸山参事官の補佐として現地へ向かった警備局付警務局監察官・佐々淳行は、ヘラクレスの選択=敢えて困難な道を歩かされる自分の運命を呪いながらも陣頭指揮にあたることになるが・・・(Gooより)。
 
映画は、面子に固執する警視庁と長野県警の対立や先の見えない戦況に業を煮やすマスコミ、全国から押し寄せる野次馬、現場を信頼しない警察庁上層部とトラブルなどが描かれるが、犯人などの意図、人間などはほとんど描かれず、警察と機動隊などの指揮系統も複数あり、混乱した状況が描かれていただけだった。
 
あさま山荘事件」を題材にしただけで、単なる警察内部の抗争などを描きたかったのか、あまりはっきりしない。「踊る大捜査線」のように、エンタテイメント性を含めて映像化すると、面白かったが、今ひとつ、しっくりしない映画だ。
 
事件発生から10日後の2月28日、作戦は実行され、犯人全員を逮捕、人質も無事救出し、負傷者24名、殉職者2名、民間犠牲者1名を出したあさま山荘事件は終幕した。
 
役所広司の妻役の天海祐希が若々しく、印象的だったのがせめてもの見どころ(爆)。
 

出演:
役所広司佐々淳行
宇崎竜童宇田川信一
伊武雅刀野間長野県警本部長
串田和美丸山参事官
山路和弘石川警視正
矢島健一大久保第九機動隊長
豊原功補内田第二機動隊長
遊人後田巡査
遠藤憲一山野第二機動隊小隊長
松岡俊介佐治警視
 
 
★★(いまいち)