映画「殺しが静かにやって来る」(原題:Il grande silenzio=大いなる静寂、1968)を見る。主演ジャン=ルイ・トランティニャン、監督セルジオ・コルブッチ。イタリア・フランス合作で、異色の傑作マカロニ・ウエスタンと言われている。
主人公の賞金稼ぎの男サイレンス(ジャン=ルイ・トランティニャン)がある理由から声を発せられないことや、ラストがバッドエンドで終わり後味が悪いことなどが異色。従来の勧善懲悪的な西部劇とは全く異なり、正義がまったく報われず、全員死亡という救いがないドラマとなっている。
正義は完全に敗北し冷酷非情な者が勝つという、反西部劇的な結末で、これは1960年代後半という社会的な背景が影響している。当時は、体制批判、公民権運動といった社会運動を反映した作品が多く、サイレンスという言葉を失った主人公が象徴するのは、声を奪われた「正義の側」の人々と言われる。
ラストで悪い連中を一網打尽にするのかと期待していたら、まったく真逆で、満身創痍のサイレンスがあっけなく殺されてしまう展開には呆然とさせられる。
映画の最後にこの事件は、実際に雪深いユタ州で起こった事件であり、当時としては賞金稼ぎがならず者たちを「合法的」に殺したものであるという字幕が出ていた。歴史上は、悪名高い虐殺事件としてその名が残っている。
・・・
1898年、雪深いユタ州スノーヒルは無法地帯。ロコ(クラウス・キンスキー)率いる賞金稼ぎの無法者集団がいた。ロコは、無実であろうと無かろうと、お尋ね者を仕留めては、その亡骸を保安官に突きつけて荒稼ぎするアンモラルな男。
彼らはその冷酷非情さで人々から恐れられていた。無抵抗の夫をロコに殺された未亡人ポーリーン(ヴォネッタ・マギー)はある男に復讐を依頼する。
ビーリーン(右)は亡き夫の復讐をサイレンスに託す。
雪原の彼方からやって来た流れ者のその男の名は“サイレンス”(ジャン=ルイ・トランティニャン)。賞金稼ぎのみを獲物とし、彼が通り過ぎた後には“死の沈黙”が 訪れることからその名が付けられた凄腕の殺し屋だった。ポーリーンの頼みで、1000ドルの報酬で、サイレンスはロコへの復讐を請け負う。
一方、スノーヒルの町はロコとその一団、そして彼らを利用して町を牛耳る悪徳判事ポリカット(ルイジ・ピスティッリ)に支配されていた。
ポーリーンの家に招き入れられたサイレンスはロコを挑発し、決闘の機会を伺うが、狡猾なロコはなかなか応じない。
そんな中、サイレンスの凄惨な過去が次第に明らかになっていく。彼は幼い頃に無法者一味に両親を殺され、自らも声帯を切り裂かれ声を奪われた。
そして彼をそんな目に会わせた一味のひとりが他ならぬポリカットだったのだ。ついにポリカットへの復讐を果たすも、深手を負ったサイレンスにロコとの対決の時が迫ってきた(Filmarksより一部引用)。
サイレンス(左)と冷酷非情なロコ
・・・
主人公サイレンスの銃がいい。その愛銃は自動式装填拳銃(Self-loading Pistol)「モーゼルC96」で、西部劇で初めて本格的に登場。
このモーゼルは、ジョン・スタージェス監督のハリウッド製西部劇「シノーラ」(原題:Joe Kidd、1972)にも登場する。クリント・イーストウッド扮する元賞金稼ぎジョー・キッドが雪山を背景に、敵から奪い取ったモーゼルを乱射するのだ。
映画がネガティブな内容であり、エンニオ・モリコーネの音楽もそれに輪をかけてもの悲しいものになっている。映画は、評論家筋では、高評価を得ているようだ。
■「にほんブログ村」にポチッと!お願い申し上げます。