「丘を越えて」は、作家・猪瀬直樹の小説「こころの王国」を、「火火(ひび)」の高橋伴明監督が映画化した人間ドラマ。文芸ジャーナリズムの基礎を築いた作家・菊池寛と、彼の私設秘書、朝鮮貴族出身の青年の交流を通し、それぞれが激変する時代の波に立ち向かっていく姿を描く。
大衆文化が花開いた昭和初期の風俗を再現した衣装や美術、全編に流れる昭和歌謡の数々も魅力。
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江戸情緒の残る東京・竜泉寺町に育った細川葉子(池脇千鶴)は女学校を卒業し、就職のために文藝春秋社の面接を受ける。不況の折、採用の枠はなかったが、葉子は文藝春秋社社長であり著名な作家でもある菊池寛(西田敏行)の目に留まり、個人秘書としての職を得る。
下町育ちの葉子に、菊池たちが過ごす世界はまぶしかった。銀座の街、帝国ホテル、ダンスホール、菊池にからむ女性たち。矛盾をまるごと抱え込んだような巨人、それでいて破格の人情家でもある菊池に憧れを抱く葉子。
老境を迎えつつある菊池は、金では買えない葉子の魅力にかけがえのないものを感じ、恋に落ちる。その一方、葉子は菊池の元で働く若い美男の編集者、馬海松(西島秀俊)にも惹かれていく。
朝鮮の貴族出身で、日本に留学して菊池の知遇を得た馬。
彼は一見、遊び人を気取っているが、心の中ではいずれ母国に戻り、新しい朝鮮を作りたいと野心を燃やしていた。そんな馬の若さと野心は彼女の胸をときめかせる。
対照的な二人の男の間を揺れ動く葉子だったが、彼女は少しずつ成長し女流作家になりたいという自分自身の夢を抱く。やがて満州事変が勃発。戦争の足音が聞こえはじめると、馬は母国の独立のため、朝鮮に帰る決意を葉子に伝えるのだった。行く手に嵐を予感しながらも、菊池も葉子も馬も、自分自身の人生を歩もうとするのだった・・・(Yahooより)。
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葉子(池脇千鶴)と母親(余貴美子)との掛け合いが面白い。特に地口(じぐち)と呼ばれる駄洒落を言い合う言葉遊びである。たとえば、「そうです」という代わりに「そうで有馬の水天宮」といった具合。「恐れいりました」の代わりに「恐れ入谷の鬼子母神」「そうはイカの・・・」などである。葉子も母も負けずに言い合うのである。
母が、葉子に何か文句を言うと、葉子は「電信柱が高いのも、角のポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」と負けてはいない。
池脇千鶴が、昭和初期の服装なども似合っていて、この映画でも相変わらず、生き生きと演技派ぶりを見せている。女性が社会で仕事をするというのが一般的でない
時代だったが、文芸春秋の面接では、今でいう首切り専門の担当の佐々木(嶋田久作)は、初めから新規採用などする気はさらさらない。社長が、それならと会社としてではなく、社長秘書として、ポケットマネーのような形で支払うことになり採用したのだった。この嶋田久作は、皇室の関係者のような風貌で、脇役として存在感がある。
時代だったが、文芸春秋の面接では、今でいう首切り専門の担当の佐々木(嶋田久作)は、初めから新規採用などする気はさらさらない。社長が、それならと会社としてではなく、社長秘書として、ポケットマネーのような形で支払うことになり採用したのだった。この嶋田久作は、皇室の関係者のような風貌で、脇役として存在感がある。
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当時の時代背景や、ファッション、車などを再現、見どころのある映画だった。
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