ベンチャーズは、60年代半ば以降、日本でエレキの大旋風を巻き起こした。
2回目の来日(1965年1月)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演から一気に人気が出た。ギターで真空管アンプのもつダイナミックなサウンドを奏で、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本にエレキ・ブームが生まれた。
低音弦をスライドさせて、ピッキングを行う「クロマティック・ラン」奏法と呼ばれるサウンド(日本では一般的に「テケテケ」とか「グリッサンド」と呼ばれる)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。ベンチャーズが本国米国で一番人気があったのは1960年代で、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超えるという。
60年代後半から70年代前半にかけ、日本を意識した曲を作るようになった。
日本サイドで歌詞を付けて発売したことで、作曲家としても注目されるようになる。銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」が「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされたのを皮切りに、「北国の青い空」(奥村チヨ)、「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。 特に「京都の恋」は、(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している。
とくに「二人の銀座」は、懐かしい。いまでもカラオケで歌う。
60年代半ばは、ビートルズと人気を二分したと言っても過言ではなかった。