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★訃報:”エレキの神様” 寺内タケシ、死去。82歳。

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エレキブームの仕掛け人で“エレキの神様”と呼ばれたギタリストの寺内タケシが、器質化肺炎のため、18日亡くなった。82歳。

寺内武は5歳でギターを初め、9歳で電話のコイルを並べたピックアップでエレキギターを製作したとされる。関東学院大学在学中にプロ活動を開始。

1952年、「寺内武とブルージーンズ」を結成し、エレキブームの仕掛け人となり、加山雄三主演の「エレキの若大将」などにも出演したエレキギターの草分け的存在だった。  

加山雄三は18日夜、公式サイトに追悼メッセージを掲載。「また1人、若大将の仲間が亡くなってしまった」と悲しみ「また、一緒にエレキやりたかったよな。」と別れを惜しんだ。

 

■「寺内タケシとブルージーンズ

エレキギターをメインにした日本のコンボ・バンド。その源流は1962年に結成されたロカビリーバンド、エレキバンド(第1期)。1969年に結成されたエレキ・コンボ・バンド(第2期以降)。略称は「ブルージーンズ」または「TBJ」。いずれもリーダー、バンドマスターは「エレキの神様」寺内タケシ

テレビのバラエティ歌番組「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒットパレード」に出演し、1963年1月には日劇エスタンカーニバルで大ブレイク。

1964年頃には加瀬邦彦らを迎えて日本初のエレキバンドが完成。

この頃のメンバーは以下の通り。

寺内タケシ(リード・ギター)

加瀬邦彦(2ndリード・ギター)

市山正美(リズム・ギター)

石橋志郎(ベース)

工藤文雄(ドラム)

鈴木八郎(キーボード)

1964年には新宿厚生年金会館で初のコンサートを開催。前座はベンチャーズアストロノウツであった。さらに翌1965年はこの3バンドにザ・スパイダースを加えた4バンドで競演、日本中にエレキブームが巻き起こった。

メンバーの脱退や、商標問題などごたごたもあったが、「ブルージーンズ=エレキ=寺内タケシ」の三位一体論を支持する世論に押されてブルージーンズの名前を取り戻し、栄光のブルージーンズ復活が実現。第2次ブルージーンズが結成。メンバーは以下の通り。

寺内タケシ(ギター)

相田幹夫(ギター)

石橋志郎(ベース)

ジョー水木(ドラムス)

ルイ高橋(ボーカル、パーカッション

志村幸夫(ギター、1970年より参加)

山根裕(キーボード、1970年より参加)

・・・

寺内は1970年10月1日にブルージーンズのメンバーを一新、第3次に突入した。その後もメンバーの入れ替えを繰り返し、寺内以外のメンバーの平均年齢を若く保ちながら現在に至っている。

■オリジナル曲

ユア・ベイビー(リバプールサウンド時代到来を予期して加瀬邦彦が作曲したボーカル曲、後に加瀬がザ・ワイルドワンズでカバー)

・ブルー・ジーンNo.1(加瀬邦彦作曲のオリジナル)

・テリーのテーマ

・テストドライバー

・涙のギター

・空飛ぶギター

・フィードバックギター

羅生門

・青い渚をぶっとばせ

・青春へのメッセージ(ヴォーカル曲、コンサートのエンディングを飾る一曲)

■カバー曲

【クラシックのカバー】

運命(ベートーベン交響曲第5番」)

未完成(シューベルト交響曲第7番」)

熊蜂の飛行リムスキー=コルサコフ

ハンガリア舞曲ブラームス

ペルシャの市場にて(アルバート・ケテルビー

剣の舞アラム・ハチャトゥリアン

ツィゴイネルワイゼンサラサーテ

日本民謡のカバー】

津軽じょんがら節(青森県

ノーエ節(神奈川県

おけさ節(新潟県

斉太郎節(宮城県

ソーラン節北海道

 ・・・

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テケテケテケテケ~エレキといえば、寺内タケシベンチャーズの名前が浮かぶほど、寺内タケシの存在は大きかった。エレキブームの初期のころは、ベンチャーズは、寺内タケシの前座をつとめた。寺内タケシは、やんちゃな不良おじさんというイメージが強かったが、エレキの天才はエレキの魅力で、エレキギターの普及、ブームに多大な影響を与えた。

 

ご冥福をお祈りいたします。