昨日の「徹子の部屋」を見ていたら、ゲストとして日本の有名一家として「長嶋家」と「石原家」の長嶋一茂(52)と石原良純(56)が出ていた。長嶋茂雄の知られざる一面などが一茂を通して明かされた。
一茂によると、「巨人が負けると、世のお父さんたちは、機嫌が悪くなったといい、家族にもぶすっとしていたというが、それはそれでありがたいが、父である監督は、負けても機嫌が悪かったことはなかった」という(笑)。
石原裕次郎と長嶋茂雄は、分野こそ違っても、家族同士で旅行をしたこともあったという。裕次郎は、長嶋のことを「シゲ」と呼んでいたという。
石原良純によると、父・慎太郎は、「なぜ弟(裕次郎)ばかりがもてはやされて・・・」と愚痴っていたという(笑)。ズバズバとモノを言う慎太郎には敵が多かったようだ。
52歳でガンで亡くなった裕次郎の葬儀は昭和62年7月に行われたが、一茂は「いまの私と同じ年だ」と早すぎると語っていた。
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黒柳徹子が紹介して一茂も良純もはじめて知ったというのが「男の友情 背番号3」という歌。これは知らなかった。
作詞:大高ひさを、作曲:上原賢六。
1959(昭和34)年テイチクよりレコード発売。1959(昭和34)年、裕次郎はすでに日本を代表する映画スター、長嶋は入団2年目でありながら、野球ファンを熱狂させるスラッガー、同世代の若者として、裕次郎から長嶋へ送った「舞台は違えど、お互い頑張ろう」というメッセージソングである。
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