「ドライブ・マイ・カー」(2021)を見た。昨年夏に公開された時には、まさかアカデミー賞の有力候補になるとは誰が予想しただろうか。第94回アカデミー賞では日本映画史上初となる作品賞と脚色賞をはじめ、監督賞、国際長編映画賞と4部門でのノミネートを果たした。
国際長編映画賞(かつての外国語映画賞)は確実としても、作品賞を万が一にも獲得すれば、羽生結弦の四回転並みの超ウルトラ級の快挙となる。
映画をみると、元々原作が村上春樹で、国内向けというよりも世界を意識した内容というように取れる。アカデミー賞候補も大納得の映画だった。
授賞式の3月28日(月)に奇跡が起きる(たぶん。笑)。
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(ストーリー)
舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(おと、霧島れいか)と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。
2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。
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家福(西島秀俊)は4歳の娘と妻を病気で失い、家福のドライバー、渡利みさき(三浦透子)は母を災害で失い、2人とも自分だけ生き残ってしまったという思いがある。自分の行動で救えたかもしれないという後悔を胸に秘めている。
濱口竜介監督は、親しい人を病気や事故で失った人々に真摯な眼差しを向けているが、前代未聞の現在のコロナ禍で、尊い命が奪われている状況と重なる。
劇中では、2つの舞台が上演されている様子が映し出されている。
ひとつは、サミュエル・ベケットが1952年に発表した2幕からなる戯曲「ゴドーを待ちながら」。
存在不確かな“ゴドー”という人物を、2人組のホームレスが永遠に待ち続けるという設定が、人生の不条理さを浮かび上がらせる。
もう一方は、多言語演劇として物語の中核を成してくる「ワーニャ叔父さん」。ロシアを代表する作家アントン・チェーホフによる四大戯曲のひとつ。
絶望に陥り、苦悩しながらも“死”ではなく“生”を選び取っていく登場人物たち。人生とは、幸せとは何かを観客に問いかける内容。
韓国語や手話も含む多言語による「ワーニャ叔父さん」のセリフの構成や本読みなどのシーンが面白い。
オーディションで採用された手話の女性ソニアに家福が「稽古で大変なことはないですか」と聞くと、ソニアは「どうして私だけに聞くのですか。私の言葉がひと(他人)に伝わらないのは普通のことです」という言葉も印象的だ。
家福にとって17年間も乗っている愛車「サーブ900」は、シェルターであり聖域といった存在。クセもあって、ほかの運転手に運転させるなんてとんでもないという考えの持ち主。
ところが、公演先の広島では、以前役者が事故を起こしたとかで、専属のドライバーを使うのが規則という。そこでドライバーとして現れたのが渡利みさき。
みさきは中学の時から車で片道1時間、母の送迎をしていたという。
母から運転を教わったが、車中で寝ている母を起こしてしまい怒られ殴られることもあったといい、災害(土砂崩れ)で自分だけ逃げ出し、母が残されたが、助けに戻らなかったという。
広島公演の主催関係者(コーディネーター)は、家福とドライバーのみさきを自宅の食事に招待するが、みさきのドライバーはどうかと家福に聞くと「車に乗ってこんなに心地よいのは初めて。彼女にドライバーをたのんでよかったです」と家福は応える。みさきは、褒められたこともないので、照れ隠しか、家の犬と戯れる。
映画のラストで、何年か後か、韓国にみさきの運転する車があった。車の助手席には、犬がいた。
音を演じた霧島れいかは「運命じゃない人」「ノルウェイの森」などを見ているが、今作では出番は少ないが、全編を通じて声の出演で、語り部的な存在となっている。
岡田将生は、車の中で家福に語りかけるシーンがあるが、カメラに語りかけるようなカメラ目線でとうとうと涙目で話すシーンなど印象的だった。
監督・脚本/濱口竜介
原作/村上春樹
出演/西島秀俊(家福悠介役)、三浦透子(渡利みさき役)、霧島れいか(家福音役)、岡田将生(高槻耕史役)、パク・ユリム(イ・ユナ役)、ジン・デヨン(コン・ユンス役)、ソニア・ユアン(ジャニス・チャン役)、アン・フィテ、ペリー・ディゾン、安部聡子(柚原役)
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