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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">吉幾三:「俺ら東京さ行ぐだ」(1984)</span>

 

 
ラジオを聴いていたら、吉幾三は「雪国」「酒よ」などカラオケの定番曲で人気のある本格実力演歌歌手だが、初期のころの、あのお笑いを盛り込んだ、軽快なラップ調の路線をずっと行ってもおもしろかっただろうという意見が出ていた。他に類を見ない音楽だったことは確かだ。
 
吉幾三は、1977年に最初のヒット曲「俺はぜったい!プレスリー」を発表したのだが、そのあとはヒット作がないまま、低迷期が続いた。
 
アメリのLPレコードでラップ音楽に触れ、そこから着想を得て作ったのが、「俺ら東京さ行ぐだ」だった。本楽曲を各レコード会社に売り込むも、全て断られてしまったという。最終的に千昌夫が数百万円で吉幾三から原版権を買い取り、この千昌夫の支援により1984に本楽曲がリリースされたのだった。
 
本作は当時のオリコンでは演歌チャートではなく「フォーク、ニューミュージック」チャートでランクインしていたという。ラップ音楽の特徴であるプロテストソングを(自虐的ではあるが)盛り込んだところに特徴がある。この歌の歌詞が吉幾三の出身地の言葉である津軽弁と勘違いされることも多いが、津軽弁とは異なるという。(牛は「べこ」だよと、津軽(青森)出身の妻から返ってきた)。
 
1980年代初めといえば、レーザー・ディスクが出てきたころだが、今では、DVDに駆逐されて、レーザー・ディスクは、はかない命だった。この歌が出た当初は話もガス電気もない」などの内容の歌詞があり、発売当初は出身地である青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)から「うちはそんなに田舎じゃない」と猛抗議を受けた、と後日語っている。
 
発売当時、日本中の小さな農村から「ふざけるな!!」「オラたちの村をバカにしてるのか!?」と凄い数のクレームが押し寄せてきたとも語っている。しかし、彼自身の幼少期は本当に歌詞の内容と近いものだったという。一方で、曲の全国的大ヒットを喜ぶ人も地元に多くいたという。
 
ところで、世界の人口は70億人で、実際に電気が通っていない地域で生活している人が20億人いるという。
 

1985年
4月10日放送のフジテレビ系列の音楽番組「夜のヒットスタジオDELUXE」において、金木町民がスタジオに集合。吉は感慨もひとしお、この曲を熱唱した。これが、アップしたYoutubeである。
 
それにしても、歌詞の「婆さんと爺さんと数珠(じゅず)を握って空拝む」や「銀座に山買うだ」など笑わせてくれる。
 
これがホントの山Cow(牛)だ!。
 
 
歌・作詞・作曲:吉幾三
 
テレビも無エ ラジオも無エ
自動車もそれほど走って無エ
ピアノも無エ バーも無エ
巡査(おまわり)ぐーるぐる
朝起きて牛連れで 二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ 瓦斯(ガス)も無エ
バスは一日一度来る

 
※俺らこんな村いやだ 
 俺らこんな村いやだ
 東京へ出るだ 東京へ出だなら 
 銭コア貯めで 東京で牛飼うだ※
 
ギターも無いエ ステレオも無エ
うまれてこのかた見だごとア無エ
喫茶も無エ 集いも無エ
まったぐ若者ア俺一人
婆さんと爺さんと 数珠(じゅず)を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エ たまに来るのは紙芝居
 
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ
東京へ出だなら 銭コア貯めで
東京で馬車引くだ
 
ディスコも無エ のぞきも無エ
レーザー・ディスクは何者(化け物だ?   
カラオケはあるけれど
かける機械を見だごとア無エ
新聞無エ 雑誌も無エ たまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ 俺らの村には電気が無エ
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ
東京へ出だなら 銭コア貯めで
銀座に山買うだ
 
(※繰り返し)
 
 
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