「仁義なき戦い 」メイン・テーマ
岡田茂さん死去:戦後映画界のドン 斬新な企画、経営近代化
任侠路線が下火になると、暴力団の抗争をドキュメンタリーのような手法で描いた「仁義なき戦い」シリーズ、同じく菅原文太を起用した喜劇「トラック野郎」シリーズもヒット。「映画は商品である」が持論で、時にキワモノ風の作品も、批判を尻目に後押しした。
製作者として、若手監督を思い切って起用し、斬新な企画を次々と手がける一方、経営者としては製作費や人件費の抑制など、映画製作を合理化。テレビ番組の制作や太秦映画村の設立などの事業にも進出した。93年、東映会長に就任し、一線から退いた。
反社会的な題材や過激な描き方がしばしば物議を醸し、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で批判も受けた。しかし時代感覚は鋭く、大胆で豪快な人柄を慕う人も多く、日本映画史に大きな足跡を残したことは間違いない(以上、記事より)。
主な製作:
1950 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声
51 わが一高時代の犯罪
62 ギャング対Gメン
63 五番町夕霧楼
暗黒街最大の決闘
64 博徒
67 大奥(秘)物語
あゝ同期の桜
73 仁義なき戦い
追加:岡田名誉会長は、映画は「泣く 笑う にぎる(手に汗握る)」があればヒットするが持論だった。映画のタイトルにもこだわった。相反する二つの言葉を使う意外性。たとえば「緋牡丹博徒」(緋牡丹+博徒の組み合わせ)。現代風にいえば、「ホームレス中学生」など。(秘)をタイトルに初めて使った。「大奥(秘)物語」。アメリカのポルノという言葉もはじめて導入。
「仁義なき戦い」では、監督の深作欣二が、山守組・組長役は、三国連太郎がいいのではと進言したところ「金子信雄がいい。金子が使えないなら、監督を降りろ」とまで言ったとのこと。それは、金子の広島弁がうまいこと、(ずるがしこい)おもしろ差があることからだった。結果、映画は、山守組の組長を演じた金子の圧倒的な面白いキャラクターが奏功して大ヒットした。これには、深作監督も、のちに「あれには、まいった(よく見抜いている)」と述懐したという。岡田語録は、たくさん残っているようだ。
10日の告別式には、菅原文太をはじめ、北大路欣也、津川雅彦、渡辺謙、役所広司、吉永小百合、富司純子、松坂慶子、小林稔持、仲村トオル、里見浩太朗、映画会社社長など映画関係者、約2,400人が参列した。高倉健は、弔電をおくった。
ご冥福を祈ります。