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映画「オードリー・ヘプバーン」(2022)を見る。オードリーの素顔に迫る長編ドキュメンタリー。

オードリー・ヘプバーン(2022)を見る。大スターでありながら、これまであまり語られてこなかったオードリーの素顔に迫る長編ドキュメンタリー

永遠の妖精と呼ばれたオードリーの素顔を、本人のアーカイブ映像と近親者のインタビューなどによって名声の裏に隠されたヘプバーンの“本当の姿”を探る。

監督は、脚本家、ミュージシャンとしても活躍する新進気鋭のヘレナ・コーン(1994年生まれ)。

関係者として登場するのはヘプバーンの息子のショーン・ヘプバーン・ファーラー、孫のエマ・キャスリーン・ヘプバーン・ファーラーのほか「ラスト・ショー」などのピーター・ボクダノヴィッチ監督や「グッバイガール」などの俳優リチャード・ドレイファスなど。

オードリーの母方は貴族の家系で、1929年、ベルギーで生まれたオードリー・ヘプバーンは、第2次世界大戦中にはナチスドイツ占領下のオランダで過ごす。

当初はバレエダンサーを目指していたが、舞台の「ジジ」から女優に転身し「ローマの休日」の王女役に抜てきされ一夜にしてスターダムを駆け上り、アカデミー賞主演女優賞を獲得。ニューヨークタイムズ紙などが大々的に報じた。

その後も「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」などの作品に出演。

           「パリの恋人」

ティファニーで朝食を」では、窓辺で歌うシーンがあるが、この部分をカットするという話があった時に、ヘプバーンは猛反対したといい、完成してみれば、このシーンは名シーンとして語り継がれることになる。

マイ・フェア・レディ」では、階段から降りるシーンは緊張したという。

幼少期に経験したナチス占領下のオランダでの貧困・飢餓体験などから、のちに、アフリカなどの飢餓に苦しむ子供たちを救いたいとの思いで、1989年にはユニセフ国際親善大使に就任し、スーダンなどの子供たちの現状を見る。

晩年は、パパラッチなどを避けるため「普通の人でいられる」という理由から静かなスイスで過ごし、1993年1月20日、がんのため亡くなった(63歳)。
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世界的な人気スターになってからは、カメラマン、パパラッチなどがどこにいても追いかけ、家にいてもプライバシーが侵害される状況が続いた。

インタビューでは「もがき苦しみながらもヘプバーンは家族優先で、家族を守ることを第一に考えていた」といった証言があった。

ヘプバーン自身は女優には固執していなかったようで、晩年は、何年かに1本くらいの出演となった。「(女優の)仕事にも何事にも潮時がある」と語っている。

妖精として多くの人から愛されたが、芯が強く、テレビのMCで有名なジョニー・カーソンは「(ゲストの中で)唯一恐れた女優だった」と語っている。

オードリー・ヘプバーンが急逝して30年。ハリウッドの黄金期を代表するスター、永遠のファッションアイコンとして今もなお愛され続けているヘプバーン。「ローマの休日」のアン王女のイメージそのままにオードリーは映画ファンの脳裏に永遠に残り続ける。

監督:ヘレナ・コーン
音楽:アレックス・ソマーズ
制作国:イギリス

 

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