今夜9:00、BS11で映画「想い出のオードリー・ヘプバーン」(原題:AUDREY HEPBURN REMEMBERED、1993)が放送されていたので見た。オードリーの女優としての栄光物語と、引退してからの自身が天職としたユニセフ活動である。
アカデミー賞を受賞し、さらに5回にのぼるアカデミー賞候補に選ばれるなど大女優としての輝かしい黄金時代、晩年ユニセフの親善大使としての活躍、そして一生を終えるまでのオードリーについて、多くの映画の名シーン、アーカイブ・フィルム、ニュース・フィルム、エピソードのほか、映画監督のビリー・ワイルダー、映画音楽家のヘンリー・マンシニー、俳優のグレゴリー・ペックなど、オードリーとゆかりのある有名人が映画の随所でオードリーについて語るなど、見ごたえのあるドキュメンタリーだ。
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この機会にオードリー・ヘプバーンの主な出演作品を振り返ってみる。内容は、Googleなどを参考にした。
■おもな映画出演作品
初恋 (1952年の映画)
1930年代のロンドンを舞台として製作された映画で、若いオードリー・ヘプバーンがバレリーナとして舞台で踊る姿が見られる。ヘプバーンは端役だが『オードリー・ヘプバーンの初恋』という別タイトルが付けられている。
1930年代のロンドンを舞台として製作された映画で、若いオードリー・ヘプバーンがバレリーナとして舞台で踊る姿が見られる。ヘプバーンは端役だが『オードリー・ヘプバーンの初恋』という別タイトルが付けられている。

ローマの休日(1953年)
王女と新聞記者との切ない1日の恋を描く。
トレビの泉や真実の口など、永遠の都・ローマの名だたる観光スポットを登場させていることでも有名。1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を受賞。そのほか最優秀脚本賞を、最優秀衣裳デザイン賞を受賞。
麗しのサブリナ(1954年)

1954年に公開されたアメリカ合衆国のロマンティック・コメディ。サミュエル・テイラーの戯曲「サブリナ・フェア」をビリー・ワイルダー監督が映画化した。「ローマの休日」に続くオードリー・ヘプバーンのヒット作。
パリの恋人 Funny Face(1957年)
小さな本屋で働くジョー(オードリー)は、共感主義かぶれ。ひょんな事からファッション雑誌のモデルを依頼される。撮影はパリ。パリには行きたいけれど、モデルなんて。でも、パリに行けば共感主義の元祖フロストル教授にきっと会える!。雑誌の編集長マギー、カメラマンのディックと共にジョーはパリへ飛び立つ・・・。
昼下りの情事(1957年)
ベルギーに住む有名な医者パン・デル・マル博士の娘であるガブリエルは尼僧になる決意をし、家を出た。恋人への思いも断ち切り、修道院入りする。
許されざる者(1959年) テキサスの一角で牧場を営むザカリー一家。長男(バート・ランカスター)の元、牧場経営は順調に進んでいた。しかし、ある日妹(オードリー・ヘプバーン)の出生に関して、ある噂が立ち始めて…。
ティファニーで朝食を(1961年)
アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティ(1924年 - 1984年)による中編小説。ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。題名は主人公のいう「ティファニーで朝食を食べるご身分」のたとえ(ニューヨーク五番街のティファニーは宝石店で実際には食堂は存在しない)による。映画版ではその題名を意識してか冒頭でオードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前に朝食を食べるシーンがある。
噂の二人(1961年)
17歳のときから親友同士のカレンとマーサは、今では共同で女学校を経営していた。カレンにはジョーという恋人がおり、二人はついに婚約した。しかし経営が軌道に乗りはじめた時期でもあり、マーサは嫉妬し、カレンと口論になる。さらに、わがままな生徒メアリーによって二人が同性愛関係にあるとの噂を流されたことから、平穏だった暮らしは次第に崩壊していく。
シャレード(1963年)
スキー旅行先で、富豪の夫・チャールズとの離婚を決意したレジーナ・ランパート(オードリー・ヘプバーン)。旅行からパリの自宅に戻ると、家財道具一切が部屋から持ち出されており、夫の姿も見えない。そこへ、司法警察のグラン・ピエール警部が現れ、チャールズの死を告げる。
マイ・フェア・レディ(1964年)
おしゃれ泥棒(1966年)
シャルル・ボネは美術品収集家として知られているが、実は贋作画家で、自分で制作した作品を競売にかけていた。シャルルのコレクションに疑問を抱いた美術商のソルネは、探偵のデルモットに調査を依頼する。デルモットはシャルルの家に潜入するが、シャルルの娘ニコルに発見されてしまう。とっさにデルモットは自分は泥棒だと嘘をつく・・・。
暗くなるまで待って(1967年)