「オーソン・ウェルズが遺したもの」(原題:They'll Love Me When I'm Dead、2018)を見る(日本では未公開、Netflix)。モーガン・ネヴィル監督によるドキュメンタリー映画で、オーソン・ウェルズ監督の「風の向こうへ」(ウェルズ存命中は未完成)の製作・撮影背景が描かれる。
オーソン・ウェルズの出演作品、監督作品やウェルズの肉声などをつなぎ合わせているドキュメンタリーで、ウェルズを知る貴重な映像資料になる。
オーソン・ウェルズと親しい人物が様々登場する。ジョン・ヒューストン監督とは兄弟のような間柄であった。
「ラスト・ショー」「ペーパームーン」などの若きピーター・ボグダノヴィッチ監督などは、ウェルズが師匠的な存在であったことや、ピーターを介してバート・レイノルズも友人だったことや、クロアチア人妻・オヤ・コダ―ルなどが登場する。
マスコミの記者インタビューで「映画スターとして、最も幸せだったことは何か?」と聞かれて「銀行にお金があると知ったときだ」と返していた。これは映画製作の資金集めで苦労していたのでホンネだったようだ。
映画で、鼻が大きいという印象が強いが、大きな鼻はニセモノだったとつけまつげならぬつけ鼻であったと、取り外して見せた。
「偶然が傑作を生む」という言葉も印象に残る。
「”市民ケーン”が、傑作として映画史に残り、(あとの作品が)比較されるが、傑作は?」と聞かれたウェルズは「次回作だ」と答えた。「次回作のめどは?」には「まだ考えていない」だった。
ハリウッドから20年間追放されて、その間ヨーロッパにいたことなども語られた。1970年前後の数年間、アメリカン・ニューシネマの時代があり「俺たちに明日はない」「イージーライダー」などが生まれたが、終焉を迎え、「スターウォーズ」「ジョーズ」などの”ゲーム”の時代になったという。
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「砂丘」の舞台になったアリゾナの砂漠や、「第三の男」の舞台となったウィーンの観覧車などの映像もあった。
20世紀最大の怪物俳優の一人だったかもしれない。
ところで、オーソン・ウェルズといえば、カセットテープ時代の語学教材(英会話、シドニー・シェルダンの「ゲームの規則」)の声の吹きこみなどで知られていた。