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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「神々の深き欲望」(1968)を見る。今村昌平監督。キネ旬ベストワン。

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神々の深き欲望」(1968)を見る。今村昌平監督。今村プロダクション製作、日活配給。カラー/ワイド/175分(長い!)。

出演は、三國連太郎河原崎長一郎沖山秀子北村和夫加藤嘉原泉嵐寛寿郎など。撮影は沖縄県南大東島波照間島などで行われたが、構想6年、撮影に1年以上もかかり、予算オーバーで今村プロダクションは破綻寸前となり、今村はしばらく映画から離れることとなったいわくつきの映画。

土着信仰の根強い沖縄の離島に住む人々と、都会からやってきた人間との対比などを描いたカルトムービー。キネマ旬報ベストテン1位

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第二次世界大戦終戦後、日本の南海に浮かぶ「くらげ島」が舞台。

くらげ島には自然神信仰があり、太(ふとり)家が代々神の神託を告げる巫女(ノロ)を出している。その太家の者たちは、近親相姦もある。

太の根吉(三國連太郎)は父親(嵐寛寿郎)が実の娘に産ませた子であり、妹のウマ(松井康子)もおそらく同じ。

根吉の息子の亀太郎(河原崎長一郎)と知的障害がある娘のトリ子(沖山秀子)の母親は登場しないが、根吉とウマも関係しているといった具合。村人たちはそんな太の者たちを「ケモノ」と蔑むが、太の者には神の言葉を告げる役目があることから、太の者を仲間はずれにはしないのだった。 

村長の竜立元(加藤嘉)は、村で唯一の産業であるさとうきび工場の工場長。村の政治経済のトップであり、竜立の愛人は太のウマで、巫女でもあるウマを通して神事にも力を持っている。

そんなくらげ島に、さとうきび工場の水源調査のために東京の親会社から岸(北村和夫)がやってくる。

岸は、東京に妻子がありながらトリ子の”濃厚接待”を受け、一時はすっかりくらげ島に居ついてしまったかに見えたが、やがて呼び戻されると二度と島へは戻らず、捨てられたトリ子は岸を待ちながら夭折。根吉は竜立元殺人の濡れ衣(真相は腹上死)をきせられ、ウマと共に村人たちから処刑されてしまう。

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5年後。クラゲ島は観光地となって、飛行場もできていた。島の伝説を蛇皮線で弾き語りしていた里徳里(浜村純)の妻が、今は観光客を相手にコカコーラを売っている。

一度は東京へ出た亀太郎は、島に戻って観光列車の運転手に。列車の運転中に、時折り亀太郎は、楽しそうに列車の前を走るトリ子の姿を見る。その姿は幽霊か、幻か。神に仕える家としての太家は絶え、神々がいた時代は「伝説」「迷信」として過去のものになっていった。

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3時間近い長編だが、最初の2時間くらいは、単調で、睡魔との戦いで、”忍耐”を要する。後半になると、太陽がまぶしい大海原で、ボートによる追跡劇など見ごたえがある。

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嵐勘十郎(当時67歳)は、この映画の撮影の時期にたまたま別の撮影があって、近いところにいたが「1週間くらいだがもう1本撮らないか」という今村監督に誘われて参加したら「1年もかかってしまった」と”鞍馬天狗”こと嵐勘は述懐しているという。なんとおおらかな時代だったのか。

神々が伝説・迷信として遠ざかってしまった「くらげ島」で西洋文明の象徴ともいえるコカ・コーラが登場するのは象徴的だ。くらげ島に物質文明の侵食が始まったということか。