「トゥルーマン・ショー」(原題:The Truman Show、1998)を見た(Huluで配信)。テレビのバラエティショーかトークショーを想像していたら、全く違っていた。
コメディ俳優のジム・キャリーによる初の非コメディ映画で新境地を開いた作品と言われる。第56回「ゴールデングローブ賞(1998年度)でジム・キャリーが主演男優賞、エド・ハリスが助演男優賞、そのほか音楽賞にノミネートされた。
映画の冒頭で、ある男(エド・ハリス)がカメラに向かって「これはニセモノではなく本物だ。リアルでつくりものではない」と話しかける。その真意とは一体…。最近では「テラスハウス」など共同で暮らす人たちの様子を描く番組があるが、そうしたリアリティ・ショーの先駆けだったかもしれない。
「トゥルーマン・ショー」は、テレビ番組が精巧に作り上げた虚構世界に暮らす男、トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)の物語。彼の人生は、誕生の瞬間からすべてが撮影され、番組として世界中に放送されつづけていた。トゥルーマン本人は、この世界が虚構であることを知らないのだ。
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離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちは!こんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年。
彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためだった。
ある日、彼がいつものように新聞スタンドで新聞と妻のためのファッション誌を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。
しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。
実は、トゥルーマンは生まれたときから人生の全てを24時間撮影されていたのだった。彼はアメリカ合衆国民ですらなく、彼の人生は全てそのままリアリティ番組「トゥルーマン・ショー」として世界220か国に放送されていた。
彼の住む街は中国の万里の長城に匹敵するドーム内に作られた巨大なセットで、太陽や月、星々も機械仕掛けの照明装置に過ぎず、雨や雷鳴などの気象も人為的なものだった。
そして何よりトゥルーマン以外の人物は全て俳優、エキストラたちなのであった。もちろん死んでしまったという父も本当の父ではなく俳優であり、父親役の俳優は実際は死んでおらず、のちに感動の再会を果たすことになる。
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「ピザ」が気になった(笑)。トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)が女性に「いつかぼくとピザでも。月、火、水、木…いつがいい」と聞くと、相手は、「No(ノー)。Now(今がいい)」と文字を書くのだ(笑)。海岸でもトゥールマンは「ピザを食べようか」。「トゥールマン・ショー」を見ている警備員も、ピザをほおばっていた。
それはともかく、リアリティショーの仕掛け人であるディレクターのクリストフ(エド・ハリス)は、何十台ものカメラを見ながら「クレーンカメラ」「引きのカメラが欲しい」「ここで音楽を入れろ」「クローズアップだ」などと指示を出すが、主役が行方不明になると、番組は中断してしまうというありえないハプニングも。
海でトゥルーマンが乗ったボートを嵐で転覆させたりさせるが、海に放り出されたトゥルーマンが生き延びて、晴れた空の中で、ボートから降りて海の上を歩くが、そこはセットであり、空と思われた背景には壁があった。
一人の人物の生まれた時から30歳までの人物のまわりをすべて作り物にするというアイデアは画期的。一方では、何も知らない当の本人は、それが世界に配信されているというのは、怖っ!(笑)。
まだら模様の犬は「101匹わんちゃん」にでてくるダルメシアンか、名前がプルートで活躍していた。