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訃報:歌手・ペギー葉山、死去。83歳。「学生時代」「南国土佐を後にして」


学生時代」「南国土佐を後にして」などで知られる歌手の
ペギー葉山が12日肺炎のため死去した。83歳。好きな歌手の一人だったので、残念。

今年3月29日に東京・日生劇場で行われた「越路吹雪 三十七回忌特別追悼公演 『越路吹雪に捧ぐ』」に参加、元気な様子だったといい、突然の訃報に驚いた。

1952年「ドミノ/火の接吻」でレコードデビュー。
1954年、「月光のチャペル」でNHK紅白歌合戦に初出場。1959年、NHK高知放送局テレビ放送開始の記念に歌った「南国土佐を後にして」が空前の大ヒットを記録した。1964年には「学生時代」がロングセラーとなった。
YouTube:https://youtu.be/fMQzKuFT1ic

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌「ドレミの歌」に♪ドはドーナツのド~♪と日本語詞を付けて歌い、今も歌い継がれている。

タレントしても活躍し「ひらけ!ポンキッキ」のしつけコーナーや「ウルトラマンタロウ」のウルトラの母の人間体“緑のおばさん”などでお茶の間に親しまれた。1966年にはNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。

2004年旭日小綬章。女性初となる日本歌手協会7代目会長も務めた。
 
芸名からハーフかと思われがちだが全くの日本人。
名前の由来は、”ペギーは友人宅の混線電話がきっかけで親しくなったテレホン・フレンドのアメリカ人から「君の声はペギーという感じだ」と言われたことから。葉山進駐軍廻りの際に一緒にアルバイトしていた学生に「長谷川一夫フランク・シナトラ・・・芸能人にとって、ハ行は縁起がいい。」と言われ、その通りと思い、とっさに思いついたのがペギー+葉山という。
 
・・・
ペギー葉山の歌と言えば思い出す曲が多い。
最初に聞いたのは「南国土佐を後にして」だった。200万枚を売り上げる大ヒットとなった。東京オリンピックの年に発表された「学生時代」は、中学生の時に聞いたが、その後同窓会などでは、よく歌った曲の一つだった。
 
1956年アルフレッド・ヒッチコック監督作品知りすぎていた男」(原題:The Man
Who Knew Too Much、1955)の劇中でドリス・デイ歌ったケ・セラ・セラが大ヒットしたが、これをカバーして歌ったのがペギー葉山だった。
 
 「ケ・セラ・セラ」
 
「学生時代」は当初「大学時代」とつけられたが、当時は誰も彼も大学に行く時代ではなかったことから、ペギー葉山が「学生時代」を主張してそれが通った。
青山学院(高等部)に通っていたペギー葉山の思い出が込められている。
青山学院はミッション系スクールで、「讃美歌を歌いながら」「十字架を見つめて」などの歌詞が含まれている。
 
ご冥福を祈ります。
 
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