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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「ラヴレース」(2013)アマンダ・セイフライド主演。</span>



マンマ・ミーア!」「レ・ミゼラブル」の演技が印象に残るアマンダ・セイフライド主演の「ラヴレース」(原題:Lovelace)を見た。

知らない人には、ラヴレースといってもピンと来ないかもしれないが、1972年製作のポルノ映画「ディープ・スロート」(1972)で一世を風靡した女優リンダ・ラヴレースのことで、映画は、一時期、”特殊映画”の分野でスター女優となったリンダだったが、その私生活では、DV夫や、両親の苦悩、自身の波乱に満ちた半生が描かれている。

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カトリック信者の両親(ロバート・パトリックシャロン・ストーン)の厳格さにうんざりしていた21歳のリンダ(アマンダ・セイフライド)は、地元のバーを経営するチャック・トレイナー(ピーター・サースガードと付き合い、すぐに結婚。チャックによって性の快楽に目覚めていく。しかし、やがてチャックは、売春容疑で逮捕され、保釈金や借金で行き詰まり、妻であるリンダをなんとポルノ映画へ出演させてひと儲けしようと思い付き、リンダはポルノ映画「ディープ・スロート」(原題:Deep Throat)に主演することになった。

たった7日間で撮影された同作は大ヒットを記録し、リンダは「プレイボーイ」編集長のヒュー・ヘフナーら著名人からも支持される「セックス革命のシンボル」として祭り上げられていくのだが・・・。

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一度大ヒットしたポルノ映画で有名になってしまったリンダには、映画プロデューサーや夫までもが続編で儲けようとリンダに出演を迫るが、リンダは断った。


    「お前が映画に出れば、がっぽり稼げて金持ちになれる」と強要するDV夫。

  女友達もリンダを心配して気遣うが「チャックと結婚して良かった」と取り繕うリンダ(左)。

そもそもポルノ映画に出る気などなかったのだが、リンダは両親から「夫の言うことには服従するものだ」という教育を受けてきて、若かったリンダは、夫の言うがままに出演したのが「ディープ・スロート」だった。

リンダの両親は、映画館でこの映画を見たが、自分の娘が余りにも下劣な映画に出ていることに失望して映画館を出てしまう。「(育て方の)どこがいけなかったのかな」というのが父親のつぶやきだった。

6年後、コリシアーノという男と結婚して子供もいて平和に暮らすリンダ。
リンダは、後にポルノ映画に出演した当時のことを本に現し出版。
その内容は「チャック・トレーナーと出会ったのが不幸でした」で始まり、「1970年代にポルノスターとして正味17日間だけ出演した映画によって、その烙印が押されたこと、映画は卑猥な話題にのみ語られること、映画は6億ドル(当時の換算レート:1ドル=360円で、単純計算で2,160億円)で、出演料はわずか1,250ドルだったこと、夫のDVなど」だった。

リンダはテレビのインタビューで本の出版のことやこれまでの人生について語るが、両親は、それを聞いて、今まで誤解していたことなどがわかり、和解する。

実際のリンダは、2002年に交通事故でなくなり、元夫のチャックはその3ヶ月後に心臓発作で亡くなったという。


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主演のアマンダが、この映画では、全く別人のように、リンダを熱演している。またリンダの母親を演じるシャロン・ストーン(写真)は、ほとんどわからないほどだった。リンダが「夫がDVを振るうようになった理由など、お母さんには理解できない」というと、母親は「18歳で、子供(リンダの姉)を生んでいる。私にもわかる」と言い張るのだが。

ちなみに「ディープ・スロート」は、1972年製作で、1975年にニューヨークの場末の劇場でまだロングランされていて見る機会があった。決して他人様に勧められる映画ではないし、その時代のレジェンドとしての存在価値があったということかもしれない。

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