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<span itemprop="headline">訃報:作家・野坂昭如(あきゆき)、死去。85歳。</span>


黒めがねがトレードマークの作家、
野坂昭如(あきゆき)が9日、誤嚥(ごえん)性肺炎による心不全死去した。85歳だった。

早稲田大学文学部仏文科中退。1963年、作詞した「おもちゃのチャチャチャ」が、レコード大賞童謡賞を受賞。1968年に、敗戦と占領から日米親善という時代を生きる男の米国に対する屈折した心理を描く「アメリカひじき」と、終戦直後に栄養失調で亡くなった義妹をモデルに兄の記憶をつづりアニメ化もされた「火垂るの墓」で直木賞を受賞した。

執筆のかたわら、「焼け跡闇市派」を名乗り、歌手としてデビュー、映画への出演やキックボクシングに挑戦するなど多彩な活動で話題を呼んだ。

1972年、雑誌「面白半分」の編集長だった時、永井荷風作とされる「四畳半襖の下張」を同誌に掲載、1973年2月、わいせつ文書販売の罪で起訴され、80年に有罪が確定する。

1997年に「同心円」で吉川英治文学賞、02年に「文壇」とそれまでの業績により、泉鏡花文学賞を受賞。戦争を忘れてはいけないという思いから、「戦争童話集」の作成に取り組んだ。

「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」で人気を呼んだテレビCMや討論番組でもおなじみだった。2003年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、リハビリを続けていた。


・・・
野坂昭如というと、まず歌手として、スローなテンポで歌う「マリリン・モンロー・ノーリターン♪」(「黒の舟唄」のB面)を思い出す。マリリン・モンローが亡くなったのが相当ショックだったのか。

もう一つは、昭和40年代、テレビを見ていて、歯が「お歯黒」のように真っ黒だったが、「戦後一度も歯を磨いたことがない」と発言していたことだ。

歯も磨かないで、タバコもぷかぷかと吸って、健康に悪いだろうなと思っていた。
ところが、1978年(昭和53年)、野坂昭如が大ファンだったという山口百恵と会うことになったとき、「今日は歯を磨いてきました」と発言している。百恵19歳、野坂47歳だが、百恵は「・・・」となんのことかわからなかったようだ。33年ぶりに歯を磨いた野坂だった。

大島渚殴打事件も記憶される。
大島監督の記念式典の席で、スピーチに立った野坂がいきなり大島監督に殴りかかったのだ。これにはあっけにとられて、驚いた。

型破りな作家だったという印象が強い。
自身の戦争体験から、反戦への強い決意が強かったようで、詩の朗読などを続けていたようだ。

昭和一桁生まれは、全て80代になり、だんだん亡くなっていく人が多いのは、仕方がないが、野坂昭如の同世代のテレビ番組などの共演者たちの現在も気になるところ。

ご冥福を祈ります。


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