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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「無防備都市」(1945)


 
ロベルト・ロッセリーニ監督のイタリア映画「無防備都市」(原題:Roma città aperta=開かれた都市ローマ、1945年製作、日本公開1950年)をついに見た。
 
あまりにも有名な映画「無防備都市」は、イタリアン・ネオレアリズム映画の記念碑的作品と言われ、公開されるや、一躍映画史上の最大傑作と激賞された映画。ロベルト・ロッセリーニ監督の名はこの映画で世界的名声を得ることになった。脚本には、若き日のフェデリコ・フェリーニが参加、原案はセルジオ・アミディ、音楽はレンツォ・ロッセリーニ、撮影ウバルド・アラータ。
 
この映画は別の意味でも注目された。
女優イングリッド・バーグマンが「無防備都市」(1945)と「戦火のかなた」(1946)を見て、その現実感(リアリズム)に感激し、ロッセリニーに監督に手紙を送った。「英語の話せるスエーデン生まれの女優が必要でしたら、いつでも映画を一緒に撮る用意がある」という内容で、1950年にバーグマンは、家族を捨ててロッセリーニのもとに走り「ストロンボリ」(1950)に主演するが、アメリカ映画界からは大バッシングを受け、映画界からボイコットされるという一大スキャンダルとなったのである。
 
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第二次大戦末期のローマ。レジスタンスの指導者マンフレーディ(マルチェロ・パリエ-ロ)はドイツ・ゲシュタポの追跡を逃れ、同志フランチェスコフランチェスコグランジャッケ)の家に逃げこむ。彼は資金調達のためローマに来たのだ。
 
しかし警戒厳しく、結局神父ドン・ピエトロ(アルド・ファブリッツイ)に連絡をたのむ。フランチェスコとピーナ(アンナ・マニャーニ)の結婚式の日、ナチに襲われ、マンフレーディは逃げたが、ラフンチェスコら同志は捕えられ、それを追ったピーナは路上で巡視兵に射殺された。
 
 
捕えられた同志たちは途中で救出され、マンフレーディとランチェスコはマンフレーディの恋人マリーナ(マリア・ミキ)のアパートに逃げこむ。ところが彼女はゲシュタポの婦人部員の陰謀にかかり、同性愛と麻薬中毒になっていて、2人の仲は破れる。
 
ドン・ピエトロの手引きで隠れ家に行く途中、マリーナの裏切りでナチに襲われ、神父とマンフレーディは捕えられる。神父の目前でマンフレーディはゲシュタポの凄惨な拷問にあうがついに一言も自白せず、息絶えてしまう。
 
神父も反逆罪で銃殺されることになる。雲が低くたれこめ、遥かサン・ピエトロ寺院の円蓋の見える丘で、神父は銃殺され、それを見た少年たちは黙々と刑場から立ち去って行った(MovieWalker)。
 
     目の前で、大人たちや神父が処刑される光景を金網越しに見つめる子供たち。
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映画のラストシーンは、レジスタンスの大人たちが処刑されたあと、そこから歩き去っていく子供たちのシーンで終わるが、この子供たちは、その後どうなったのか。
余韻を残した幕切れだった。
 
映画の冒頭、この映画はナチス支配下の9か月に及ぶ状況を描いたフィクションであるという言葉があったが、映画はドキュメンタリー的に描かれ、拷問シーンなど余りにもリアルで厳しい内容となっている。
 
ちょうど70年前の映画だが、今見ても映画の力強さに圧倒される。
特に神父ドン・ピエトロを演じたアルド・ファブリッツイが、ナチスの弾圧に屈せず、人間味に溢れ、信念を貫く姿が印象的だ。
 
イタリアン・ネオレアリズム映画としては、「無防備都市」(ロベルト・ロッセリーニ監督、1945年)、「自転車泥棒」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年、「揺れる大地」ルキノ・ヴィスコンティ監督、1948年)が代表作品とされている。
 
 
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