「カサブランカ」(1942)で人気を得たイングリッド・バーグマンは「ガス燈」(1944)でアカデミー賞主演女優賞を受賞し、1946年から48年まで連続3年「マネー・メイキング・スター・ベスト10」に名を連ねた。
1950年に監督したのが、イタリア映画「ストロンボリ/神の土地」だった。
・・・
第二次大戦が終って、ローマの難民収容所には戦火で家を失った人々が、すさんだ心を抱いて幾百人となく収容されていた。そのなかにいつもふさぎこんでいた一人の女カリン・ビオルセン(イングリッド・バーグマン)は、捕虜のキャンプにいるアントニオ(M・ヴィターレ)というシシリー島出身の漁夫だけを話し相手にしていた。
アントニオは、いつか激しくカリンを恋したが、カリンの望みは収谷所を出て自由の国アルゼンティンへ行くことだけであった。しかしカリンのアルゼンチン行きの旅券は許可されず、夢破れたカリンはアントニオとの結婚に同意。
つつましい結婚式を挙げた二人は、エルオ群島の北端ストロンボリに住みつくことになった。そこは島の中央に巨大な火山のある荒れた漁村で、島人たちは他国ものに全く冷めたかった。
カリンは夫・アントニオーニに「ここは人間の住めるところではない」と訴えるが、「女房は家にいるもの」と聞き入れず「(ここにいる人たちは)人種が違う。文明社会の人間は、三日も持たない」と訴え続けたが聞き入れられなかった。
カリンにとって日々の生活は収容所より辛いものに思われたが、アントニオーニにとっては自分の故郷であるこの島を立去る気持はまるでなかったのだ。
カリンは島でただ一人親しくしている牧師(R・チェザーナ)の助けをかりて島を脱出しようとしたが、牧師は彼女の誘いにのらなかった。
自棄になって行ったカリンは、美男の燈台守(M・スポンゾ)と知り合い、彼との火遊びを楽しんだが、これを知ったアントニオは激怒。一年中で島が一番活気をみせるまぐろの漁期に入ったころ、カリンはアントニオの子を宿した。アントニオは大いに喜んだ。カリンは、お腹の子とともに、島を抜け出したかった。
しかし、その時、島の火山が大爆発を起こした。島人たちは舟で海上に難を避け、カリンは再びアントニオに島を去ることを迫ったが、彼は爆発のおさまった島にもどるとカリンを家にとじこめまた海へ出て行った。
カリンは燈台守にたのんで二人で島をぬけ出すことにした。
山向うの港へ向う途中、火山のガスと噴煙に身重な体をいためつけられたカリンは、遂に昏睡状態になり倒れてしまった。
一夜あけると、噴火はおさまり、輝く陽光にカリンは目を覚ました。
彼女は生れる子供のためにも夫の許へ帰るべきだと悟り、すべての迷いから目覚めた思いだった。カリンはアントニオの住む麓へと山を降りて行った(MovieWalker)。
・・・
バーグマンが、契約していた製作者デヴィッド・O・セルズニックのもとを離れフリーになってからはあまり振るわず、たまたま見たロベルト・ロッセリーニ監督の映画「無防備都市」(1945)と「戦火のかなた」(1946)に感動。「もし、英語のうまいスエーデン生まれの女優を必要でしたら、いつでも映画を作る用意がある」という手紙をロッセリーニに送ったのだ。
その後の映画、例えば「オリエント急行殺人事件」(1974)などの控えめな初老の婦人は別人のような演技(アカデミー助演女優賞を受賞)で、それまでの作品と比べると雲泥の差だ。
バーグマン(1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、60歳になった頃「年をとることには驚かない。自分が70歳になったとき、演じられるような素敵な役があるかだけを考えている」と語っていたが、70歳を待たずに、67歳の誕生日にその生涯を閉じた。
☆☆☆
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。