

映画「私は最悪。」(原題:Verdens verste menneske/The Worst Person in the World、2021)を見る。監督はスウェーデンのヨアキム・トリアー。自分に正直に人生を選択していくヒロインの恋と失敗と成長の物語。
第74回カンヌ国際映画祭で主演女優賞(レテーナ・レインスヴェ)を受賞。第94回アカデミー賞でも脚本賞と国際長編映画賞にノミネートされた。ノルウェー発の恋愛ドラマ。人生の迷いや選択を軽快かつ深く描く。
女優のレテーナ・レインスヴェが自然体で魅力的。この映画を見るきっかけになったのは、まもなく開催の第98回アカデミー賞で、ヨアキム・トリアー監督とレテーナ・レインスヴェ主演コンビの「センチメンタル・バリュー」(現在公開中)が8部門で計9ノミネートされていたからだ。
「センチメンタル~」を見る前に監督の作風などを知っておきたかった。「私は最悪。」はノルウエイ映画の傑作。
アラサー女性の自分探しと言ってしまえばそれまでだが、自分とは何者なのか、どんな人生が自分にとって意味あるものかを問い続けながら成長していく姿を、特にセリフが少なく内面の表情などで描いているのがいい。
映像も素晴らしい。主人公の女性ユリヤ以外の人物、背景がすべてストップしてしまうシーンは圧巻。

<ストーリー>
冒頭「この映画は序章と最終章、それ以外の12の章からなる」というナレーションがある。つまりは全14章。(かなり細分化されて物語が進行する)
主人公はオスロに暮らす30歳前後の女性ユリヤ(レテーナ・レインスヴェ)。
医学部で勉強していたが、医学で肉体を扱うのは大工のようだと、心理学、写真、仕事、本屋でのアルバイトと、何度も道を変えながら迷い続けていく。
人生の方向性が定まらないユリヤは、年上の恋人アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と付き合っているが、44歳のアクセルは子供が欲しいというが、ユリアはいまはいいと結婚や将来についての価値観のずれに悩みはじめる。
ある夜、アクセルのパーティに紛れ込んだユリヤは、同世代で飾らない魅力を持つカフェ店員アイヴィン(ハーバート・ノードラム)と出会い、強い引力を感じて新しい恋へと進んでいく。
しかしその恋もまた複雑で簡単にはいかない。
やがてユリヤは、自分とは何者なのか、どんな人生が自分にとって意味あるものかを問い続けながら成長していく。

・・・
序章(プロローグ)の後「浮気」「バッドタイミング」「恋人やサーミ人への裏切り」「”ボブキャット”がクリスマスをぶち壊す」などの章が続く。
テーマとしては、恋愛映画ではなく「自分探し」や「自己決定」があり「他人の期待に応える人生」と「自分の本音で生きる人生」の間で揺れる主人公の苦悩が描かれる。
自分の人生を他者の人生と比べるのではなく、自分自身の主役として生きられるか…といった問いが、ユリヤの行動や選択を通じて丁寧に描かれているところが共感を生む。
ラストシーンでは、ユリヤはアイヴィンとの関係が終わり、流産という経験を経て、一人で写真を撮る仕事に向き合っている。
過去の恋愛も失敗も全てユリヤの人生の一部。最終的に「他人のための人生ではなく、自分自身の人生を生きる」という成熟した境地にいたったという結末であったようだ。
<主な登場人物>
■ユリヤ:レテーナ・レインスヴェ…主人公。30歳前後で人生の方向性を模索中。恋や仕事を通して成長していく。
■アクセル:アンデルシュ・ダニエルセン・リー…ユリヤの年上の恋人。人気グラフィックノベル作家で結婚・家庭を望むタイプ。ユリヤとの価値観の違いが関係に波を生む。
■アイヴィン:ハーバート・ノードラム…ユリヤが別れの後に出会う青年。肩の力の抜けた魅力を持つ。ユリヤの新しい可能性や感情を刺激する。ガンが発覚する。
劇中の映画の小ネタは気になる。ユリアがアクセルに「何をしていた?」と聞くと「古い映画を見ていた。”ゴッドファーザーPart II”と”狼たちの午後”」と応えるシーンがある。
「”狼たちの午後”はあと何回みればいい?」とアクセルが言うと「何回でも」とユリア。ユリアがアル・パチーノのファンだからか(笑)。
「私は最悪。」は、ヨアキム・トリアー監督にとっては「リプライズ」(2006)「オスロ、8月31日」(2011)に続く3部作の最後の1作であるようだ。最新作「センチメンタル・バリュー」と合わせて見なくては…。

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