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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「日本海大海戦」(1969):三船敏郎が東郷平八郎。

 
日本海大海戦」(1969)を見た。
今年は、終戦70周年ということで、戦争を描いた作品がテレビなどで放送されているようだ(本作品もBS-TBSで放送された)。
 
日本海大海戦」は、「東宝8・15シリーズ」の第3作とされる。
前2作と異なり日露戦争が題材。前半で、日露戦争開戦から乃木希典(のぎ・まれすけ)による旅順攻略まで、後半では日本海海戦における東郷平八郎率いる連合艦隊バルチック艦隊を撃破するまでを描いている。
 
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本作は、円谷英二が実質的に特技監督として参加した最後の映画作品となった。
艦船のミニチュアは美術スタッフ60人を動員して107隻が用意された。また戦艦三笠のミニチュアは13メートルに及ぶ巨大なものが造られた。
 
東宝8・15シリーズ」 は、「日本のいちばん長い日」(1967)に始まり、「連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968)、「日本海大海戦」(1969)、「激動の昭和史 軍閥」(1970)、「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)、「海軍特別年少兵」(1972)を指す。岡本喜八監督などが、戦争の記憶を風化させぬようにとするかのように、夏になるたびに公開された。
 
 
日本海大海戦」は、義和団の乱の後、出兵した英、米、仏、独、日、伊、墺の各国は兵を引き揚げたが、ロシアだけは満州に5万の兵を留め、さらに増強していたところから始まる。
 
日本の再三再四の抗議も成果がなく、遂に交渉は途絶した。
1904年1月12日、宮中の御前会議で日露開戦に傾いたが、明治天皇は国交断絶は両国の不幸である、とロシア皇帝に直接電報を打つと述べた。だがロシア政府からの返事は無かった。
 
海軍大臣山本権兵衛海軍の即時行動を伊藤博文に進言した。
2月5日、日露国交断絶。連合艦隊司令長官・東郷平八郎三船敏郎バルト海より来るバルチック艦隊との対決に備え、旅順攻略に掛かった。
 
旅順で指揮を執っていた乃木(笠智衆)と東郷の絆や、ロシアが降伏し、負傷したロシアの大将を、東郷が見舞いに訪れ「戦う姿勢が同じ」と共感を示したり、意思を疎通させる会話を示し、敵同士といえども同じ人間であるところで、東郷の人間味が溢れていた。
 
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東郷平八郎は、子供を戦争で亡くした盲目の女性宅を妻とともに訪ね、焼香するシーンがある。その女性は「(東郷と知らずに)東郷さんは、これからも戦争を続けるのか。また戦死者を出す」と東郷の妻に語る。「ところでいま焼香された人はどなた?」と聞くので、「ただの年寄りですよ」と答えていた。
 
東郷は目を伏せて、うつむき加減に歩いていた。
ナレーションで「戦争に勝ったもののみが、戦争の怖さを知る」という言葉が入る。
一方、伊藤博文は、側近に「日本は、イギリスかアメリカと戦うことがあるのか」と聞くと「あります。とくにアメリカと戦うことになるでしょう」と将来を予感させるような発言があった。
 
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映画は、歴史の一断面をさまざまな角度から描いているが、全ての歴史がつながっていることを思わせる言葉だった。 
 
スタッフ:
製作:田中友幸
監督:丸山誠治
脚本:八住利雄
撮影 : 村井博
音楽:佐藤勝
 
主な出演者:
黒沢年男前山三吉一等兵
小鹿敦杉野孫七兵曹)
東山敬司(藤本軍医中尉)
久保明松井菊勇大尉)
佐藤允安保清種砲術長)
藤田進上村彦之丞海軍中将)
平田昭彦津野田是重参謀)
土屋嘉男秋山真之参謀)
船戸順山岡熊治参謀)
佐原健二信濃副長・丸橋彦三郎
田島義文伊地知彦次郎大佐)
小泉博栗野慎一郎公使)
田崎潤宮古島橋口島司
加藤武加藤友三郎大佐・参謀長)
安部徹須地源次郎中佐・近衛歩兵第一連隊)
清水将夫戸塚環院長)
水元成川揆大佐)
北竜二片岡七郎中将)
森幹太伊地知幸介参謀長)
高橋俊行永田泰次郎少佐)
中島春雄(森下兵曹長・砲術下士官)*ノンクレジット
松山省二宮古島の若者・松)
佐々木孝丸九鬼隆一顧問官)
児玉清山本信次郎大尉)
稲葉義男島村速雄参謀長)
三津田健山縣有朋
草笛光子(東郷てつ)
矢島正明(ナレーター)*ノンクレジット
 
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