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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

【俳優:三船敏郎】ドロン、ブロンソン相手に「格」の違いを見せつけた「レッド・サン」。


チャールズ・ブロンソンを100回?、投げ倒す三船敏郎.
 
「もう一回、やれる(投げられる)か?」
「まあ、たぶん、できるだろうね」
 
レッド・サン」(Red Sun)は、1971年公開のフランスイタリアスペイン共作の映画。日本映画を代表する世界の”ミフネ”三船敏郎とハリウッドを代表するチャールズ・ブロンソン、フランスのスターで日本で人気絶大だったアラン・ドロンの世界3大スターが共演した異色の西部劇
 
この映画の企画から実現までには数年間を要した。当初、三船プロが、パラマウント映画に対し三船敏郎主演のを主役にした西部劇の企画を持ちかけたのが1965年。この企画に賛同したのが製作者のテッド・リッチモンド
 
しかし、当時アメリイギリスでは007を中心にしたスパイ映画ブームが起きていた。西部劇にサムライが登場する企画などに興味を持つものは少なかった。しかし、テッドは諦めることなく、ついに実現にこぎつけた。1971年に70ミリ映画で公開された。fpdもテアトル東京に走って、駆け付けた。
 
監督に「007」シリーズのテレンス・ヤング
 
俳優陣も、「ミフネがでるのならぜひ」と自ら進んで参加したアラン・ドロン。ドロンと共演(「さらば友よ」)のあるチャールズ・ブロンソンもすんなり決まった。
 
映画ファンは、ドロンとブロンソンが「さらば友よ」以来の共演ということで、劇場に駆けつけたようだ。じつは三船御大が一番かっこよかったのだが・・・笑。
 

 
外国映画に登場する日本人は、ステレオタイプだったり、不自然さが目立っていたが、この「レッド・サン」では、かなり三船敏郎の意見が通り、あまり不自然さがなくなったという意味で画期的かもしれない。三船の前では、天下の二枚目アラン・ドロンも、チンピラ・ガンマンに見えるほど、三船が圧倒した。
 

ストーリー:
強盗団のリンク(チャールズ・ブロンソン)と相棒のゴーシュ(アラン・ドロン)は金貨輸送の郵便貨車を襲い、金貨を奪取した。この列車には、日米修好の任務を帯びた日本国全権大使一行が同乗しており、ゴーシュは日本の帝から大統領に献上する黄金に輝く太刀を奪った。
 
そして、リンクが邪魔になったゴーシュは、リンクを貨車もろとも爆死させようと計り、意気揚々とひきあげていった。条約調印まで間がない。日本大使は黒田重兵衛(三船敏郎)に7日間の猶予を与え、宝刀奪還を命じた。
 

 
重兵衛は、ゴーシュへの復讐を誓うリンクと手を組み、宝刀奪還を目指して出発した。当初は、反発しあっていた二人だが旅を続けて行くにつれ、二人には不思議な“友情”と言う感情が芽生えてきた・・・。
 
渡辺謙とディカプリオの共演とは、ふたまわりもスケールが違うだろう。
 
製作総指揮:テッド・リッチモンド
製作:ロベール・ドルフマン
脚本:レアード・コーニッグ、ローレンス・ロマン
編集:ジョニー・ドワイヤー
1971年公開
 
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