”世界のミフネ”と言うのは、もちろん黒澤明監督の作品群により、世界にその名を
轟かせたが、外国映画にも、60年代~80年代まで10本以上もの映画に出演して、外国の大物俳優と
共演していることでも、その位置づけ・存在感が理解できる。
轟かせたが、外国映画にも、60年代~80年代まで10本以上もの映画に出演して、外国の大物俳優と
共演していることでも、その位置づけ・存在感が理解できる。
今では”世界のナベアツ”が日本だけでは有名だが(笑)、本格的に三船敏郎が世界で
有名になったのは、1951年に公開された「羅生門」によって。この作品が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するや、”世界のクロサワ”とともに”世界のミフネ”が誕生したのだった。
有名になったのは、1951年に公開された「羅生門」によって。この作品が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するや、”世界のクロサワ”とともに”世界のミフネ”が誕生したのだった。
三船敏郎の外国映画出演作品:
1967年「グラン・プリ」(ジョン・フランケンハイマー監督)イヴ・モンタン、ジェームズ・ガーナー
1968年「太平洋の地獄」(ジョン・ブアマン監督)リー・マーヴィン
1971年「レッド・サン」(テレンス・ヤング監督)アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン
1976年「ミッドウェイ」チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、
グレン・フォード
1976年「太陽にかける橋 ペーパータイガー」デビッド・ニーブン、ハーディ・クリューガー
1979年「ウィンターキルズ」ジェフ・ブリジッス、アンソニー・パーキンス、エリザベス・テイラー
1979年「1941」(スティーブン・スピルバーグ監督)ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド
1980年「将軍 SHOGUN」リチャード・チェンバレン
1980年「インチョン!」(テレンス・ヤング監督)ローレンス・オリビエ、ジャクリーン・ビセット
1980年「最後のサムライ ザ・チャレンジ」(ジョン・フランケンハイマー監督)スコット・グレン
1980年「兜KABUTO」(ゴードン・ヘスラー監督)ショー・コスギ
1994年「シャドウ・オブ・ウルフ」ドナルド・サザーランド、ルー・ダイヤモンド・フィリップス
1995年「ピクチャーブライド」(カヨ・マタノ・ハッタ監督)
1968年「太平洋の地獄」(ジョン・ブアマン監督)リー・マーヴィン
1971年「レッド・サン」(テレンス・ヤング監督)アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン
1976年「ミッドウェイ」チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、
グレン・フォード
1976年「太陽にかける橋 ペーパータイガー」デビッド・ニーブン、ハーディ・クリューガー
1979年「ウィンターキルズ」ジェフ・ブリジッス、アンソニー・パーキンス、エリザベス・テイラー
1979年「1941」(スティーブン・スピルバーグ監督)ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド
1980年「将軍 SHOGUN」リチャード・チェンバレン
1980年「インチョン!」(テレンス・ヤング監督)ローレンス・オリビエ、ジャクリーン・ビセット
1980年「最後のサムライ ザ・チャレンジ」(ジョン・フランケンハイマー監督)スコット・グレン
1980年「兜KABUTO」(ゴードン・ヘスラー監督)ショー・コスギ
1994年「シャドウ・オブ・ウルフ」ドナルド・サザーランド、ルー・ダイヤモンド・フィリップス
1995年「ピクチャーブライド」(カヨ・マタノ・ハッタ監督)
「太平洋の地獄」は、太平洋戦争末期、ひとりだけ生き延びた日本軍海軍兵(三船敏郎)がいるカロリン群島の島へ米海軍の少佐(リー・マービン)が漂着して、互いに敵対し、事あるごとに争っていた二人だが、苛酷な状況下において協力する事だけが生存への道だと悟る、と言った内容だった。
たった二人だけで繰り広げられる異色の戦争ドラマ。
マーヴィンと三船が、どちらも譲らず、がっぷり四つに組んだ演技が迫力があった。
南洋の美しい風景を鮮やかにフィルムに収めた映像が、戦争や争いの空しさを
語っていた。地味な映画だが、一見の価値ありの映画だった。
南洋の美しい風景を鮮やかにフィルムに収めた映像が、戦争や争いの空しさを
語っていた。地味な映画だが、一見の価値ありの映画だった。
★★