fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★「アラン・ドロン生誕記念」シネマ・ライブ(VOL.6)

 
アラン・ドロンの生誕(11月8日)に合わせて、チェイサーさん主催・運営・進行する日本で唯一のドロン作品のシネマライブ「アラン・ドロン生誕祭」(Vol.6)が11月10日(土)12:30から東京・銀座の「タクト」で開かれた。今回が4回目の参加。
 
司会・進行のチェイサーさん、当日の流れを最初に紹介したが、アラン・ドロンの秘蔵映像や、60年代、70年代ごとのドロン作品の演奏と、さらには演奏するバンドメンバーの一人一人への演奏に関するインタビュー紹介など、様々な企画で、大満足のイベントとなった。
 
秘蔵映像は、写真など映像も”会場限定”であり、SNSなどにアップしないようにということだった。来日したアラン・ドロンが、自身のブランドの着物を購入した客を全国数カ所に招待した時の模様を撮影したものだった。これは、チェイサーさんがドロンの大阪事務所が捨てようとしていたビデオテープを「捨てるならください」と言ってゲットしたとのこと(笑)。 
アラン・ドロンといえば、1960年代から1970年代半ばにかけて、「二枚目=アラン・ドロン」という代名詞的な存在だった。それは映画ファンだけでなく、多くの日本人のアタマに刷り込まれていた。それは言ってみれば、CMの「カステラ一番、電話は二番」「日本の夏、キンチョーの夏」と同じように、刷り込まれているのだ。
 
いま、ドラマや映画で人気が出てくる俳優がいると「イケメン」という言葉が安易に使われるが、「綾野剛菅田将暉ジョニー・デップ?…どこが」だ(笑)。二枚目、イケメンの安売りが横行しているようだ。
 
それはともかく、秘蔵映像でドロンが日本のファンへのサービス精神溢れる映像が満載の映像がおよそ20分。前座、イントロダクションの形で流された。
 
そして、「第1部」は「1960年代」のライブ演奏となった。
日本で最初にアラン・ドロンが知られることになった映画、「お嬢さん、お手やわらかに!」(原題:Faibles Femmes、1959)。(1971年9月17日「ゴールデン洋画劇場」で放送された。)
 
 
 
この映画は、アラン・ドロン主演の青春ラブ・コメディ
アラン・ドロン扮する主人公をめぐり、様々な性格の複数の女性が取り巻くという、一見するとモテモテのハーレム?内容。 パスカル・プティ、ミレーヌ・ドモンジョジャクリーヌ・ササールなどコメディエンヌが共演。
 
「上と下」などのミレーヌ・ドモンジョもいいが「芽ばえ」「三月生まれ」のジャクリーヌ・ササールの清純な魅力が印象的だった。日本で言えば、当時の内藤洋子といった雰囲気か。
 
続いて、アラン・ドロンが自身の映画でも、重要な位置づけという「太陽がいっぱい」の演奏。演奏前に、ドロン自身のインタビュー映像(吹き替えが野沢那智というのがイメージそのもの)が紹介された。
 
 
60年代で、音楽として最も印象に残り、何度聞いても、心臓にずしりと迫るリズム感もたっぷりの「太陽はひとりぼっち」が素晴らしい。映画自体は、証券所の喧騒と、モニカ・ヴィッティの”愛の不毛”といわれるアンニュイ(倦怠感)が印象的だが映画自体は、いまひとつ…という印象。音楽だけは、痺れる。
 
 
 
              「太陽はひとりぼっち」
サムライ」「冒険者たち」「さらば友よ」「太陽が知っている」「ジェフ」などの演奏では、イベントでのバンド演奏も最高潮となった。「冒険者たち」では、あの口笛も素晴らしい。
 
 
さらば友よ」の軽快でリズミカルな演奏は、個人的には最もお気に入りのテーマ曲だ。アラン・ドロンの映画を劇場で見た最初の映画かも知れない。
 
第2部の「1970年代」では、アラン・ドロンがCMに出演した「ダーバン」の曲の演奏でスタートした。これも一世を風靡した。
 
三船敏郎チャールズ・ブロンソンとともに出演したモーリス・ジャールの「レッド・サン」(1971)フレンシス・レイの「栗色のマッドレー」(1971)、フィリップ・サルドの「暗黒街のふたり」(1973)のほか「フリック・ストーリー」(1975)などが演奏された。
 
 
        3大スターそろい踏み(「レッド・サン」)
 
第二部の音楽が終了して、1970年代の映画で、「アノ曲」がなかったなと思っていたら、アンコールとして2曲が追加演奏された。アノ曲だった。憎い演出(笑)。
 
それは、ジャン・ピエール・メルビル監督のフィルム・ノワールシシリアン」(1971)だ。これも、口笛も入って、素晴らしい曲の一つだ。もう一曲は「ダーバン」のCMの迫力ある演奏があった。
 
 
       fpdは今は無き日比谷映画で「シシリアン」を見た。
 
今回特別にバンドメンバーのひとりひとりの映画の演奏に関して「難しい点」「好きな曲」などの声が聞かれたのがよかった。
 
それぞれに難しさ、楽しさなどをうかがい知ることができた。
参加者からの質問で「口笛」はどのように出しているのか、というのがあった。フルートを習っていたこともあって、吹く感覚はつかめていたといい、これは特に練習はしていなかったという。「あまりうますぎてもいけないので」というので笑いを誘った。練習をしすぎずそこそこにいいというさじ加減が重要のようだ。
 
・・・
バンドメンバーが退場したあと、参加者によるトークコーナーという企画があり、司会者のチェイサーさんからのインタビューで、数人が感想やコメントを語るという企画だった。
 

トークコーナーでは、ご指名によりfpdが「アラン・ドロンの1960年代」の人気の凄さについて、など映画雑誌「映画の友」(現在廃刊)の1967年5月号を持ち込み、説明した。読者投票で「私のお気に入り男優」で1位を獲得するなどおよそ10年間、女優のオードリー・ヘプバーンと並んで人気があったことなどが紹介された。
 
また、自身のブログ「fpdの映画スクラップ帖」でも、外国男優投票で1位になったことなどが紹介され「映画の友」1980年前後の「キネマ旬報」バックナンバーなど数冊が、希望者に配布された。fpdによると「断捨離の一環」ということだった。
 
また、希望者は、銀座タクトちかくの「銀座ライオン」で初の試みである二次会があることが案内された。
 
(※)「会場写真」は追加・変更されることがあります。
 
(二次会は別の”限定記事”になります→解除。)

 

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