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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">きょう「11月25日」といえば・・・。1970年の衝撃の「事件」が思い起こされる。</span>

 
1970年(昭和45年)といえば、劇場で映画を見始めて2年目。
生涯映画のベスト10にも入れたい作品に巡り合った年だった。「Z」「ひまわり」・・・。
 
年の瀬を控えた11月、日比谷みゆき座でフランス・アルジェリア合作映画「Z」を見たときに、あまりにも面白く、席を立てずに、「1回しか見ないのはもったいない」という衝動に駆られて、2回続けてみた。
 
当時は入れ替え制はなく、何回でも見ることができた。ただ、2回続けてみたのは「Z」だけだが・・・。日を改めて、劇場に足を運んだ映画は、何本もある(「エルビス・オン・ステージ」「ウエストサイド物語」「ゴッドファーザー」「砂の器」「白い巨塔」「七人の侍・・・。)
 
そんな「Z」の興奮も吹き飛ばすような事件が11月
25日に起こった。
 
「11.25 三島事件
 
その日、東京・港区にある大学に通っていた19歳のfpdは、昼過ぎごろになって、めずらしく学内でラジオ放送が流れたのに「なにごとか?」と耳を傾けた。学内がざわめいていた。
 

「市ヶ谷の自衛隊駐屯地(自衛隊東部方面総監部)で、
”大変なこと”が起こっている。」「自衛隊駐屯地が、占拠されたらしい」
 
”大変なこと”は、三島由紀夫が、自衛隊駐屯地を占拠して、演説をしたのち、
割腹自殺(自刃)を遂げた事件だった。
三島由紀夫・割腹事件」、三島、享年45歳。
 
「三島らしく、最後まで、”男の美学”を通した」とか一部で言われたが、あの事件は一体何だったのか、よくわからない。
 
文芸春秋」(12月号)に、「三島事件楯の会・幻のクーデター計画」という記事が出ている。三島が、「楯の会」で、日本を変えたいという若者有志を糾合して、会員にも知らされていなかったクーデターを起こす計画だったと、「楯の会」の元・メンバーは語っている。
 
1970年(昭和45年)といえば、1960年に続く、第二次「安保」闘争の時代。
学生運動の喧騒は静まっていた。この年は、3月には「大阪万博」の開幕、
日航よど号の乗っ取り事件」と、明暗のニュースが続いた。
 
CMでは「モーレツからビューティフルへ」(富士ゼロックス)「ディスカバー・ジャパン」
国鉄:現JR)などが流行った。
 
もりそば100円、ビール大ビン140円。ボーリングで中山律子が「プロ・ボーリング選手権優勝」。
 
流行語は、「内ゲバ」「ウーマンリブ」「ハイジャック」「鼻血ブ―」「ヘドロ」・・・。
 
8月には、夏休みでアルバイト(倉庫のテレビ出荷作業)をしたfpdだが、日当
5,500円は、当時としては破格のアルバイト代だった♪(笑)。
 
学生運動に参加するのが当たり前の世相だったが、参加せず、”ノン・ポリ”と言われたが、自宅通学とはいえ、学生の通学費用・映画代ねん出には、大いに役に立った。学生時代の4年間は、年間100本以上、約500本の劇場映画を見ていたが、アルバイトで稼いだ分はほぼ映画代となっていたかもしれない(笑)。
 
もっとも「モテキ」でも来ていれば、別だったかもしれないが、まったく縁なし。高校は男子高、学生時代も、自宅通学片道2時間では、「大学」「映画館」「(自宅近くの地元の)アルバイト」のどこかにいた。映画を製作するとしたら「わが青春に悔いあり」か(爆)。
 
ちなみに、この年、日本にまだ「マクドナルド」はなかった。
1971年(昭和46年)7月20日、1号店である銀座店を銀座三越店内に開店した
その2-3日後に、やじうま根性のfpdは、銀座店で、「マクドナルド」を初体験した。
 
いまでも、週に1度くらいは、会社出勤の降車駅で「朝マック」(ソーセージ・マフィンかエッグ・マフィンがコーヒー付きで220円)を食べるfpdがいて、40年経っても、「進歩していない」(爆)。