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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「戦艦ポチョムキン」(1925)</span>



古い映画が続きます。

1925年の映画というと、これまで見た映画では、一番古いか。

歴史的な名作「戦艦ポチョムキン」(1925)をかつて、劇場スクリーンで見ることができたのは、
幸運だった。 伝説的な”6分間の名シーン”を固唾を呑んで見入った記憶がある(笑)。

有名なシーンはアンタッチャブル」でも再現されていた。

後の映画に多大な影響を与えたこの映画は、ソ連製作で、思想・観念を訴える有効な手段として映画の製作に乗り出したと見られる。そういった意味では、国の宣伝映画と見られないこともないが。映画史的には、不動の地位を占めていることは誰も否定できない。

映画ができた背景を振り返ると・・・(ほとんど引用です)。

1905年、ロシアは、日露戦争で屈辱的な敗北をする。

このことで、帝政ロシア政府に対する民衆の不満が一気に高まり、第一次ロシア革命が起こった。

しかし、政府側の徹底的な弾圧により一応の終結をみた。

その後引き続き起こった第一次大戦の長期化に伴う極度の物不足による民衆の窮乏は頂点に達した。

1917年3月、首都ペテログラードで起こった大規模なデモを契機に”ロシア革命(3月革命)”が勃発。

ゼネストを鎮圧すべく、首都の軍隊が次々と革命軍側に合流し、ついに皇帝ニコライ二世は
退位を強いられ、300余年にわたるロマノフ王朝が滅び、ブルジョア臨時政府と労農兵ソヴィエト
との二重権力時代を迎えることとなったのである。

この後、再度の革命(11月革命)を経て、レーニン率いるロシア社会民主労働党(ボルシェビキ)が
政権を取るにおよび、プロレタリア独裁政権が確立し、ついに1922年ソヴィエト社会主義共和国連邦
誕生する。しかしこの後も世界最初の共産国に対する西側の外圧は辛辣を極め、加えて土地国有化に
反対する反革命軍との内戦で、依然としてソヴィエト社会は不安定な様相を呈していた。

ここで、「映画」というものが関わってくる。

若い知識人たちは考えた。「長年の戦いで荒廃した人心を慰め、同時に新しい社会主義革命の思想を
魅力的な方法で伝えるには、映画こそ、最適な手段だ」と。

すでにアメリカでは、アメリカ映画「イントレランス」が製作されており、これが大いにソ連の知識人を刺激したといわれる。

有名な"モンタージュ理論"

山田和夫氏の「映画の理論」によると・・・。

1.青年が(画面の)左から右へ歩いていく。
2.女が右から左へ歩いていく。
3.二人が会って青年が指さす。
4.白い大きな建物。
5.二人が階段をおりる。

この5つのショットをつなぐと、誰でも何じ場所で起こったことのように思う。

しかし実際はそれらは別々の場所で撮られていた。

このように全く関係のない時間空間をつないで、そこに統一された時空の観念をもたらす。

これが"モンタージュ"と呼ばれる方法である。

そしてこの統一が新たな意味をつくる。

「青年と女が結婚のために寺院に入った」とか、
「二人はモスクワ見物に来て待ち合わせた」とかである。

モンタージュによって何の関係もないバラバラの画像が意味をもち、筋をつくり、物語となる。

これらの映像はお芝居ではなく、青年と女の事実の記録であり、モンタージュが意味を与え
観客の想像力を喚起する証明であるばかりでなく、それが記録映画から生まれたことも証明している。

そして、単なる事実の記録も、モンタージュという方法によって架空のことになることも
証明している。

同時にそれによって俳優なしに、演技というものなしに劇的感情を生み出すことも可能である。

以上だが、これから波及して現在では、芸術一般に広く応用されるきわめて
記号的な用語として数々の解釈がなされている。 

戦艦ポチョムキン」(1925)はレーニンの厚い芸術保護政策に守られながら、この理論を独自に発展させ、それを忠実に映画に反映させた当時の新進映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテインの代表作である。

映画のストーリー:

時は1905年第一次ロシア革命前夜。

戦艦ポチョムキン号の船上では、水兵が士官からウジのわいた肉を食べるように命じられている。

ワクリンチュクといつ一水兵の呼び掛けに従い、他の水兵たちが一斉に蜂起を開始する。

反乱は成功するが、士官の報復によりワクリンチュクは死ぬ。

船はオデッサ港に人り、人々はワクリンチュクの死体を幾重にも取り囲み深い悲しみに沈む。

怒り、デモ、赤旗掲揚。続いてオデッサの港に面した長い階段での水兵と海岸の人々との交歓が描かれ、食料を乗せた小舟の群が船に向かう。

突如銃声が響き、政府軍の一斉射撃が始まる・・・・。

惨劇の後のポチョムキン号船内。

不安な一夜を過ごした水兵が水平線に政府軍の艦影を発見する。

戦闘準備の号令で緊張の時が流れる。

しかし敵艦は発砲せず、ポチョムキン号は艦隊の間を勝ち誇って進んで行く・・・。

名シーンが存在する。映画史上最も有名な六分間と呼ばれ、名場面中の名場面として
不動の定説をもつ"オデッサの階段の惨劇"のシーンである。

階段のシーン。

驚愕する女性のアップの数カット。

人々はまだ何が起きたかわからない。

恐怖が彼らを直撃し、混乱が先行する。

足のない障害者が両手を足がわりに使って、階段を一気に跳びおりてい。

白い日傘がカメラに突進してくる。

そして階段の上の銃をかまえた兵士の隊列が初めて、後からのロングショットで現われる。

群衆は階段を上から下へ、左から右へ、かけ降りる。

兵土たちは群衆を追い落とし、容赦なく殺戮を続けていく。

その流れの間に恐怖に怯え、逃げまどうさまざまな民衆の表情と姿態が挿入され、

惨劇は急ピッチでエスカレートしていく。

少年が撃たれ、血だらけの顔をあげて叫びがっくりと顔を垂れる。

倒れた少年の上を靴が踏みつける。

その少年の母親が彼を抱き抱えながら、半ば狂乱状態で階段を下から上へのぼりはじめる。

ここで初めて画面にそれまでと反対の動きが生ずる。

女教師が立ち上がり、周囲の人々に呼び掛けて、母親に続く。

しかしその抵抗も圧倒的な兵士の弾圧に対し全くの無力と化し、動きは再び上から下への一つに統一される。しかも抵抗を押しつぶした勢いがその動きを加速する。

 ここでこのシーンの中でもとりわけ有名な"乳母車"が登場する。

美しい母親が赤ん坊を乳母車に乗せて逃げる。

階段の踊り場で迫りくる兵士たち。

母親は自分の体で乳母車をかばう。

射たれてのけぞる母親。

ついに乳母車は階段をころげはじめる。

それまでの上から下へ、左から右への動きがここに集中的に移行し、一段と加速され、
破局へ向かって突っ走る。

そして乳母車が遂に転覆したとき、悪鬼のような形相のコサックのアップが現われ、サーベルをふるう。

眼鏡の女教師が切り付けられ、その片目から血が吹きだす・・・。

映画芸術を集約したシーンとも言われる。

80年以上も前の「無声映画」だが、凄い映画があったものだと、いまさらながら思わせる
映画である。もう一度、機会があったら見てみたい。DVDも出ているようだし・・・(笑)。


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