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<span itemprop="headline">★Googleトップ頁:映画監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン、生誕120年祝う。</span>


きょうの「Google」のトップページには、映画のフイルムを眺める人の姿が・・・。この人物こそソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインで、生誕120年を記念して祝おうというもの。よくみると、フイルムが「GOOGLE」の文字になっている。

エイゼンシュテインは1898年1月10日(グレゴリオ暦1月23日)生まれで、1948年2月
11日に50歳で亡くなった。






セルゲイ
エイゼンシュテインといえば、映画の教科書ともいわれる戦艦ポチョムキン」の監督として有名。映画を少しでもかじった人には、”モンタージュ理論”を確立した映画として知られる

エイゼンシュテインは、ロシア帝国支配下だった都市に生まれた。父が建築家だった影響もあり、専門学校の建築科で勉強し
 
20歳になると、当時のロシアの軍隊「赤軍」に入隊。
そしてアマチュア演劇に関わり、なんとなく後に映画監督になりそうな経歴にな。そこの教育機関で日本語を教わ。この日本語こそが、後に「モンタージュ理論」を確立させるきっかけになった
 
その後22歳でモスクワ(ロシアの都市)に移住。
ある劇場の美術担当として活躍する。翌年、有名な演出家・フセヴォロド・メイエルホリドの元で演劇を学。メイエルホリドの助手をしながら、映画について勉強しはじめる
 
26歳、ついに映画を撮影。
初作品の「ストライキ」を製作。翌年、代表作となった「戦艦ポチョムキン」(1925)を製作した。この「戦艦ポチョムキン」こそがモンタージュ理論を使った作品として映画史でも有名。
 
その後も数々の作品を発表。人々に感動を与え続けたが、50歳の若さでモスクワで心臓発作で亡くなた。

■映画「戦艦ポチョムキン」とモンタージュ理論については、ちょうど10年前の2008年1月12日に記事にしている。

ちなみに「モンタージュ」というと、犯罪者の顔写真を再現する際、顔のパーツの断片を組み合わせる技術というのが頭に浮かぶ。例えば「3億円事件のモンタージュ写真」などと使われた。

もともとはフランス語のmonterは「組み合わせる」の意味で、映画のモンタージュ
(Montage)は、一般にショットとショットを繋ぐことをいう。

アメリカではカッティングやエディティング、ヨーロッパではモンタージュと呼ばれていて、複数の映像の組み合わせがモンタージュであるとすれば、ワンショットワンシーンの映像以外はすべてモンタージュである。

モンタージュを映画の文法として理論化したのは、ロシア・フォルマリズムの映画監督たちだった。彼らはもともと無関係な映像を接続することで、別のものを表現することができることに気づいたのだ。今では当たり前のことも当時としては、画期的だったに違いない。

                           
戦艦ポチョムキン」の映画を見たことがない人でも「アンタッチャブル」の階段のシーンで乳母車の落ちるシーンが「戦艦ポチョムキン」の「オデッサの階段」と呼ばれるオデッサの市民を虐殺する場面の映画史上有名なシーン(写真)のオマージュというのも有名。



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