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<span itemprop="headline">訃報:俳優・オマー・シャリフ(「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」)、逝く。83歳。</span>



また、訃報が飛び込んできた。guchさんの記事で知った。
世界的に大ヒットとなった映画「アラビアのロレンス」(1962)で、砂漠の民ベドウィンの部族長の役を演じたエジプトの俳優、オマ―・シャリフが、心臓発作のため亡くなった。83歳だった。

オマー・シャリフは1932年にエジプトの第2の都市アレクサンドリアに生まれ、カイロ大学で数学を学んだあと、1950年代に映画界に入り、国民的な人気を集める俳優になった。

1962年には、世界的なヒット作品「アラビアのロレンス」に出演し、アラブ人の独立運動に加わった砂漠の民ベドウィンの部族長アリの演技で、アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされた。シャリフは、当時30歳だった。

英語、フランス語、ギリシャ語などが堪能だったオマー・シャリフは、アメリカやヨーロッパを中心にさまざまな国の映画に出演し、「ドクトル・ジバゴ」(1966)ではロシア革命に翻弄される医師の役を、「うたかたの恋」(1966)ではオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子の役を演じた。端正で品格があった。

オマー・シャリフは半世紀にわたってアラブ世界を代表する俳優として活躍したが、国営メディアによると、晩年、アルツハイマー病を発症し、療養中だったカイロ市内の病院で10日、心臓発作のため亡くなった。

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アラビアのロレンス」では、劇場の70ミリ大画面の砂漠の中、遠くにぽつんと”点”が蜃気楼のように漂うが、その点が徐々に大きくなり、こちらに近づいてくるシーンには息を飲んだ。こんな映画は、DVDやテレビでみるのは、御法度だ。映画「ロレンス」に、オマー・シャリフが映画ファンの前に登場する瞬間だった。彫りの深い、いかつい顔とヒゲが印象的だった。

アラビアのロレンス」で世界のスターになったオマー・シャリフだったが、同じデヴィッド・リーン監督の作品「ドクトル・ジバゴ」では、一躍主役に大抜擢され、タイトル・ロールの”ジバゴ医師”を演じた。



原作は、ロシア革命を批判する作品であると考えられたために本国ソ連での発表はできず、イタリアで刊行され、世界的に知られることになった。

翌年にはノーベル文学賞パステルナークに授与されることになったが、ソ連共産党が辞退を強制。受賞すれば亡命を余儀なくされると考えたパステルナークは「母国を去ることは、死に等しい」と言い受賞を辞退した。主人公で医師のユーリー・ジバゴと恋人ララの運命を描いた大河小説。映画化では、主題曲”ララのテーマ”が大ヒットした。fpdのお気に入り映画音楽の”ベスト3”の1曲。



この他、印象的な映画では、パッと思い出す作品だけでも、バーブラ・ストライサンドアカデミー賞主演女優賞をもたらしたミュージカル「ファニー・ガール」(1968)、シドニー・ルメット監督で、アヌーク・エーメと共演した「約束」(1969)、グレゴリー・ペックと共演の西部劇「マッケンナの黄金」(1969)などがある。このほか「ジャガーノート」(1974)「ファニーレディ」(1975)などだ。

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オマー・シャリフが亡くなったことで「アラビアのロレンス」では、最年少でシャリフと同い年だったピーター・オトゥールが2年前(2013年12月4日)に亡くなり、主要な出演者はすべて亡くなったことになる。俳優は死しても映画は残るが、寂しさも拭えない。

ご冥福を祈ります。

”ララのテーマ”(映画「ドクトルジバゴ」より)を聴いて追悼です。


音楽:モーリス・ジャール(「ララのテーマ」)


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