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<span itemprop="headline">映画「小説吉田学校」(1983)</span>

 
 2007年6月28日、宮沢喜一元首相が、老衰のため、東京都渋谷区の自宅で死去した。
 87歳だった。2003年に、政治家を引退していた。

 宮沢喜一は、経済政策通といわれ、積極財政路線をとり、日本の
 高度経済成長の流れをつくった。
 
 1919年10月、東京生まれ。1942年に、旧大蔵省(現財務省)に入省。
 池田勇人蔵相(当時)の秘書官として、堪能な英語力と国際感覚を買われ、同氏の訪米に
 常に同行した。1953年10月の「池田・ロバートソン会談」で、
 戦後日本の「軽武装・経済優先」路線の基調をつくった。
 
 このあたりの渡米のいきさつなどが「小説吉田学校」で紹介されている。

 宮沢喜一は、政界の長老として、中曽根康弘とともに、最近まで、ご意見番の役割を果たしていた。

 2003年10月、世代交代を迫る小泉純一郎前首相の要請を受け入れ衆院議員を引退。

 「小説吉田学校」の吉田茂(1967年死去)元首相は、戦後最大の宰相。
 その葬儀は、日本で初めての「国葬」だった。

 


                    ↑吉田茂は、森繁久彌が演じたが、そっくりだった。

 昭和23年、GHQ民政局次長チャールズ・ケージスは新内閣を野党第一党民主自由党
 中心とした連立内1閣とすることを要望し、総理大臣には民自党幹事長・山崎猛が望ましい
 と伝えた。しかし、党長老・松野鶴平の強引な奇策、吉田の側近・林譲治の必死の巻きかえし、
 さらに党総務会における一年生議員・田中角栄の大胆な発言などによって形勢は逆転し、
 10月15日、第二次吉田内閣が成立した。

 吉田は、みずからの勢力を拡大するため議会の解散をはかり、翌24年選挙において
 民自党は圧勝、この時以来吉田学校と呼ばれるようになる吉田派は大量の新議員を
 誕生させた。2月16日、第三次吉田内閣が発足した。

 吉田学校からは、池田勇人佐藤栄作田中角栄大平正芳など後の首相が誕生する。

 この映画では、池田勇人宮沢喜一が、対日講和の下打合せをしておこうという目的で
 渡米。対日平和条約調印実現の基礎を作った。これは日米安保条約とともに結ばれたもの
 であった。対日講和が調印され日本国内は新しい政治局面へ向って動き始め、吉田自身
 には鳩山・三木との宿命の対決が待っていたのだった。

 日本の戦後の政治史を知る上で、貴重な資料となる映画だった。

 スタッフ・キャストは、当時の日本のオールスターで豪華だった。
 戦後の政治家が実名で登場するのが興味深かった。
 ノン・フィクション映画として、楽しめた。

 



 キャスト(役名)
森繁久彌吉田茂
芦田伸介鳩山一郎
小沢栄太郎 (松野鶴平)
三津田健(幣原喜重郎
伊豆肇 (星島二郎
土屋嘉男 (林譲治
梅宮辰夫 (河野一郎
藤岡琢也 (広川弘禅)
田崎潤大野伴睦
里木佐甫良 (石橋湛山
竹脇無我佐藤栄作
高橋悦史池田勇人
西郷輝彦田中角栄
仲谷昇岸信介
村井国夫麻生太賀吉
峰岸徹三木武夫
加藤和夫 (増田甲子七
鈴木瑞穂 (中井川隆一郎)
角野卓造宮沢喜一
小池朝雄浅沼稲次郎
石田純一 (須永一雄)
神山繁 (太田一郎)
脇田茂 (中川一郎
下塚誠竹下登
千葉茂 (田中六助)
瀬戸山功 (安部晋太郎)
福田勝洋 (海部俊樹
樋渡紀雄 (渡辺美智雄
リック・ジェイソン (マッカーサー
勝野洋中曽根康弘
夏目雅子麻生和子
池部良緒方竹虎
若山富三郎三木武吉

スタッフ
監督:森谷司郎

製作:山本又一朗





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