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ドイツ映画「 白バラの祈り  ゾフィー・ショル、最期の日々」(2005)を見る。背筋も凍りつく。

 

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ドイツ映画「 白バラの祈り  ゾフィー・ショル、最期の日々」(原題:Sophie Scholl  – Die letzten Tage, 2005)を見る。派手さはないが、ずしりと重い映画だ。

第二次世界大戦末期のドイツの白いバラ抵抗運動のメンバーの一人で、国家反逆罪により21歳で処刑されたゾフィー・ショルの最後の日々を描く。2005年のベルリン国際映画祭監督賞女優賞を受賞した。ラストの人民法定の裁判長の一方的な怒号、圧力は凄まじく、映画史に残りそうだ。

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ミュンヘン大学の大学生、ゾフィー・ショル(ユリア・イェンチ)は、兄のハンス(ファビアン・ヒンリヒス)、友人のクリストフ(フロアン・シュテッター)と共に反ナチス抵抗組織「白バラ」のメンバーとして、ナチスへの抵抗と戦争の早期終結を呼びかけるビラの作成し、郵送する活動をおこなっていた。

 

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ある日、大学構内でのビラまきを決行したゾフィーとハンスは、その場で大学の関係者に発見され、ゲシュタポに逮捕される。

 当初は「置いてあったビラを落としただけ」と語り、組織とは無関係のノンポリを装って早々に釈放されそうだったゾフィーだったが、すぐに証拠となる大量の切手、ビラの原稿などが押収され、兄が罪を認めたことを知る。

全てを覚悟したゾフィーは容疑を認め、良心によって行動した自らの正当性を訴えることを決意する。

それは、ナチスの正当性と「法の支配」を説き、過ちを認めて助命を求めるように勧める尋問官モーアとの、さらにはゾフィーたちを「裏切り者」として断罪し、「寄生虫」として葬り去ろうとする判事ローラント・フライスラー(アンドレ・ヘンニッケ)との戦いの始まりを意味していた。

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ヒトラーの贋札」を見て面白かったので、ナチスドイツに関連した映画「白バラの祈り」を見たが「反逆罪」の裁判は、裁判とは名ばかりで、判事が、開廷前に「ハイル・ヒトラー!」と宣誓してから始まり、被告は弁明の余地もなく死刑宣告を受けるのには驚かされる。

 

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発言の機会が与えられなかったが、ゾフィーとハンスは「ドイツはまもなく戦争に敗れる。そうなったら、被告席に立つのはあなた(=判事)だ」と言い切る。傍聴席に、飛び込んできたゾフィーの父親は「正義は死なんぞ」と叫ぶ。

フライスラー判事の圧力は凄まじく、恫喝と「全面戦争でドイツを勝利に導く」と絶叫。傍聴席のドイツ軍の幹部の中にも、心持ち顔を下げるものもいたような気がする。

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死刑執行の前に、女看守が、規則違反になるがといい、3人を引き合わせるが、3人が抱き合うシーンは胸が詰まる。ゾフィーは最後に牧師と会話を交わし、「太陽は輝き続けるわ」と言葉を残す。

ラストシーンで、ゾフィー、ハンス、クリストフは、死刑執行の猶予もなく、直ちにギロチンの刑で命を落とすのだった。ハンスは、ギロチンに首をかけられ、「自由万歳!」と叫んだ。クリストフは無言だった。

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ローラント・フライスラー判事は「白バラ」のメンバーなど反ナチス抵抗運動の参加者たちのほか、ヒトラー暗殺計画の参加者などが彼の不当な裁判で裁かれ、処刑されていった。 なお、1945年2月3日、ファビアン・フォン・シュラーブレンドルフに対する裁判中、裁判所がアメリカ軍の空襲に遭い、瓦礫の下敷きとなったフライスラーは死体で発見された。生き延びて、連合軍による裁判(「ニュールンベルグ裁判」)で、ナチスの法律家とともに、被告席に立ち弾劾されて欲しかった気がする。歴史は変えられない。

 

主な登場人物:

ゾフィー・ショルユリア・イェンチ

ハンス・ショルファビアン・ヒンリヒス

クリストフ・プロープストフロアン・シュテッター

ロベルト・モーア刑事(ゲシュタポ):アレクサンダー・ヘルト

エルゼ・ゲーベルヨハンナ・ガストドロフ

ローラント・フライスラー判事(裁判長):アンドレ・ヘンニッケ

 

■「ローラント・フライスラー」はナチス政権下のドイツにおける反ナチス活動家を裁く特別法廷「人民法廷」の長官を務め、不法な見せしめ裁判で数千人に死刑判決を下した。 

民法廷とは、国家反逆罪の被告を裁くため1934年に設置され、後に扱う刑法の範囲が拡大された。フライスラーの長官就任後、死刑判決の数が激増。彼が担当した裁判の9割は死刑あるいは終身禁固刑判決で終わっている。被告はほとんど弁護をさせてもらえず、反論も許されない。白バラのメンバーの際の裁判が物語るように、弁護人は形式的に存在するだけだった。フライスラー裁判長は被告とのやり取りで「"Ja"(はい)か "Nein"(いいえ)か!明確に答えろ!」と高圧的に臨み、また被告の言葉の端々を捉え話をすり替えたりして、裁判を被告の不利な方向に持っていった。