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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「君の名は」(第三部、1954)を見る。

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君の名は」(第三部、1954)を見る。「第一部」「第二部」とみて、結末を知らずにいるわけにはいかない(笑)。戦後まもない頃は、時代が今と違って、まだ封建的な伝統が色濃い反面、若い女性では、相手の親と別居が結婚の第一条件というのも描かれている。

主人公の真知子(岸恵子)がどこまでも不幸と不運続きで、追い詰められて、悲劇のヒロインという展開だが、基本的には三角関係の不倫メロドラマ。

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夫・浜口勝則(川喜多雄二)からの同居請求によって北海道から東京へ帰った真知子(岸恵子)は、女友達の石川綾(アヤ、淡島千景)のもとに身を寄せて、勝則との離婚調停を申し出た。

しかし、勝則が後宮春樹(佐田啓二)を裁判所に訴えていることを知り、当分永橋(柳永二郎)の保護の下に春樹とは会わない条件で、告訴を取り下げて貰った。

氷橋の計いで九州雲仙に行き、ホテルの事務員として働く事になった。或る日春樹の務めている女性評論社へ勝則が現れ、真知子が春樹以外の男と結婚するのなら離婚してもいいといってきた。だが真知子には春樹以外の男と結婚する意志はなかった。

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このドラマは、どう贔屓目に見ても、それぞれの「我」を貫こうとするご都合主義が見られる。真知子の夫・勝則の母・徳枝(市川春代)は「勝則・命」という姑で、真知子に辛くあたっていたのは、息子を取られるという嫉妬が強かったからだということが後から分かる。勝則も母親には反対できず、真知子を責め立てていた。勝則自身もマザコンか、親離れ出来ていないのか。

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正式な離婚が成立していなかったが、真知子が浜口家に戻る見込みはなくなった頃、勝則に、次官の娘・清宮美子(紙京子)と縁談の話があり、再婚することになった(おいおい、まだ離婚届に双方が判を押していない)。

ところが、美子が勝則の母・徳枝に「私の条件は夫とふたりだけで暮らすこと」と宣言したので、徳枝は大きなショックを受ける。甲斐甲斐しく尽くしてくれた真知子の言葉などを思い出し「真知子の方がマシ」と口走ってしまう。真知子がいいという母親の言葉を聞いた勝則も、今更言われても「もう何もかも遅すぎます」というのが精一杯だった。徳枝は息子と暮らせなくなり、のけものにされることで、初めて真知子の、一家の幸せのために尽くしていた心情を理解するのだった。

九州にいる真知子にこれまでの自分の仕打ちを詫びることと、できれば浜口家に戻ってもらおうと、徳枝は、勝則に内緒で真知子に会いにいくのだった。九州・雲仙に着いたそうそう、急性肺炎で寝込むが、真知子は一睡もせず徳枝を看病するのだ。

そんな中、スイスに赴任することになりヨーロッパへ出発する春樹が真知子と逢うためにやってきた。しかしその幸福も束の間、春樹は去って行った。春樹の見送りから戻った真知子に徳枝は今までの仕打ちを詫びた。ただ「新しい嫁は嫌いだ。私を可愛そうだと思って戻ってきて」とは自己中心的にも程がある。

その頃、勝則はあまりにも自由気ままで自己主張が強い美子を持て余し縁談は断った。

真知子も体調を崩して病院に入院。綾(アヤ、淡島千景)から知らせを受けて、勝則が見舞い訪れ、離婚届を渡した。勝則の心からの謝罪に真知子は涙した。死を覚悟した真知子は病室を抜け出し、春樹との想い出溢れる数寄屋橋に向かった。その無理がたたり危篤となる。綾からの急な連絡で、スイスから日本に戻った春樹は急いで真知子の元を訪れた。ようやく再会した二人。ふたりを病室に残し、綾は夜明けの数寄屋橋にたたずみ、もの思いにふけるのだった。

「忘却とは、忘れ去ることなり・・・」(この言葉は、綾の春樹への思いだったようだ)。

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この映画では、やや蓮っ葉で、シャキシャキとした明るい綾を演じた淡島千景がいい。勝則を演じる川喜多雄二は、自己中で冷たい。役所勤めで、世間体を気にするし、妻に対する言葉も命令口調の「~したまえ」言葉が鼻につく。

真知子は、春樹と再会できて「今までの長いあいだの苦しみはなんだったのか」というと春樹は「僕の腕の中でゆっくりおやすみなさい」っていう、お騒がせな昭和を代表するすれ違いメロドラマでした(笑)。

映画公開の前には、ラジオで週一でよる8時に放送があり、その時間帯は、銭湯の女湯が空になったという逸話が有名。すれ違いの連続で、もどかしさがあり、次はどうなると関心があったようだが、銭湯が空というのは宣伝担当の創作という話も伝わる。

f:id:fpd:20200527213332p:plain 日本のドロンか?(笑)

この映画に主演した佐田啓二は、同じ頃松竹でデビューした高橋貞二鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれた。「君の名は」で岸惠子とともにスターの仲間入りを果たした佐田啓二は、その後、木下恵介の「喜びも悲しみも幾歳月」、小津安二郎の「秋刀魚の味」など戦後を代表する作品に出演。1964年に交通事故死した。37歳の若さだった。長女は女優の中井貴恵、長男は俳優・中井貴一

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