一言でいえば、人と世の色と欲を描いた社会風刺劇。世の中の男どもは「エロ」を満たすために法の網を潜り、あらゆる享楽を求める動物。そうした需要に応えるべく”エロ事師”が趣向を凝らして提供することを使命とする中年男の物語だ。
主人公の緒方義元の口癖は「人間生きる楽しみいうたら食うことと、これや。こっちゃの方があかんようになったらもう終りやで。」と、エロと名のつくもの総てを網羅して提供することに夢を抱いている。その姿を、時にはグロテスクで滑稽に、またあるときは哀愁を漂わせたユーモアで描いている。
映画公開時のキャッチコピーは「みんなに感謝されながらパクラレる運命の人・エロ事師たち! その哀歓を通して現代日本に鋭いメスを入れる衝撃の異色喜劇大作!!」だった。同年度のキネマ旬報ベストテンの第2位となり、小沢昭一は主演男優賞を受賞した。
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スブやんこと緒方義元(小沢昭一)は関西のある寺に生れたが、ナマグサ坊主の父親とアバズレ芸者の義母の手で育てられた。高校を卒えて大阪へ出て来たスブやんは、サラリーマンとなったが、ふとしたことからエロ事師の仲間入りをしたのがもとで、この家業で一家を支えることになった。
スブやんは春の黒髪と豊満な肉体に魅かれてこうなったのだが、春にとっては思春期の娘をもって、スブやんを間に三角関係めいたもやもやが家を覆い、気持がいらつくばかりだ。
そして、歳末も近づいた頃、遂に春は心蔵病で倒れた。スブやんは病人の妻と二人の子供をかかえて、動くこととなった。仲間の伴的は暴力団との提携をすすめたが、スブやんは質の低下を恐れて話を断わり、8ミリエロ映画製作に専念したのだが・・・。
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水槽の大きな金魚がまるで人間世界を観察しているようにも映る。
水槽から映し出される画面が揺らいで映し出されたり、鉄格子の中に閉じ込められた春(坂本スミ子)が、鉄格子のまま、海上に現れたりと、実験的な映像も多く見られる。この時に流れる音楽は当時流行り始めたグループサウンズの曲だった。
ポルノ映画撮影、集団売春、乱交、ダッチワイフの制作、様々が描かれる。
この映画は、一度見ていたはずだが、ほとんど忘れていた。モノクロで、1960年代の世相なども反映している。大阪が舞台で、全編関西弁だが、ブルーフィルム映画(いわゆるエロ映画)の撮影のシーンから始まるが、言葉が聞き取りにくい。
ラストシーンには”オチ”があったのが面白い。
三島由紀夫は、原作について「これは一種の悪漢小説であるけれど、おそろしいほど停滞した、追ひつめられたピカレスクであり、谷崎氏の「鍵」や「瘋癲老人日記」のやうな有閑老人の性生活とはちがつて、一つの職業(非合法な)の報告であるところに意味があるのだ」と論評している。