「友だちのうちはどこ?」(1987、イラン)を見た。
日本での劇場公開は1993年10月23日。その年のキネマ旬報ベスト・テンで8位にランクインした。
友だちのノートを間違って家に持ち帰ってしまった少年が、ノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を描いた、子供についての映画。
脚本、編集、監督は アッバス・キアロスタミ。1987年のテヘラン映画祭で最優秀監督賞などを授賞。監督の名はイラン国内で不動のものとなり、1989年のロカルノ国際映画祭で五つの賞を総なめにし、イラン映画の水準の高さを世界に示した。
”埋もれた名作”の1本といえるかも知れない。
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子供たちが賑やかに騒いでいる声が古びたドアの中から聞こえてくる。
そこは小学校のあるクラスだった。先生が5分遅れて入ってくるが、先生は生徒たちの騒ぎに「先生が遅れてきたら、その間に勉強しろ」と喝を入れる。
「何回注意された?」と聞く先生にネマツァデは、か細い声で「3回」とつぶやく。机に頭を埋めて泣くネマツァデ。
先生は「同じことをもう一度やったら退学だ」と厳しく言う。
学校が終わり、ネマツァデの隣に座っていたアハマッド(ババク・アハマッドプール)が家に帰って宿題をやろうとすると、モハマッドのノートを持って帰ってきてしまったのだ。これではモハマッドは退学になってしまう。
返しに行こうとすると母さん(イラン・オリタ)が「宿題をやってからじゃないと遊びに行ってはいけないよ」と言う。
アハマッドは「ノートを届けないと、ネマツァデは退学になってしまう」と何度も訴えるが、母親は話を聞かず、「宿題が先だ。その後買い物に行ってもらう」というばかりだ。
アハマッドは宿題をする気にならずに、隙を見て、ネマツァデのノートを携えて、家を出る。隣村のポシュテにモハマッドは住んでいると聞いている。
山あり谷ありの道を越えてポシュテには着いたが、モハマッド・レダ・ネマツァデの家がどこにあるかを知らない。ようやくネマツァデのいとこの家がわかったが、そこで尋ねると、ネマツァデはコケール村に行ったという。アハマッドは、また自分の住むコケール村に急いで戻るのだが・・・。
本作に始まるコケールを舞台にした「そして人生はつづく」(1992)「オリーブの林をぬけて」(1994)の3作を「コケール・トリロジー(英語版)」と呼ぶ。主演した職業俳優ではない子役ババク・アハマッドプールは「オリーブの林をぬけて」にも出演。
主役の子役であるアハマッド(ババク・アハマッドプール)は、クラスメイトの退学の危機を救うために、自分の住むコケールから友だちの家を探し歩くのだが、隣村のポシュテに行くと、そこにはいくつか区があって、住人の誰に聞いても知らないという返事。果たして、アハマッドは無事にノートを届けることが出来るのか・・・?
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30年以上前の映画だが、イランの貧しい田舎の風景や、生活ぶりが垣間見える。洗濯といえば、日本の戦後と同じようにたらい桶でゴシゴシ。牛が歩いていたり、鶏や猫の鳴き声が聞こえ、時には暴風雨にさらされて、ドアもガタガタと壊れる始末。木のドアに変えて鉄のドアを買わないかという大工や、リンゴ売りのおばあさんなどもいる。
主人公アハマッドのおじいさんも、アハマッドに対しては、厳しいしつけを試みている。おじいさん自身が、子供の頃に親からは「小遣いは週に1度だけで、父親に殴られるのは、週に3回」と近所の仲間に語るのだ。「厳しくされたおかげで、礼儀正しくなった」と。
学校でも家でも、同じことを1回、2回までは言ってその通りにしなかったとしても、3回になると許さない、というのがあるようだ。
教室では、毎日宿題があって、ノートへの書き込みを毎日、先生が見てチェックする。宿題をやってこなかった場合は、厳しく問い詰められる。アハマッドは結局、ノートを前日のうちにネマツァデに届けることはできなかった。
当日朝、アハマッドは教室に来るのが遅れたが、先生はまだネマツァデのノートのチェックの前だった。アハマッドは、ネマツァデに「宿題は済ませておいたよ」と言ってノートを渡した。
先生が、アハマッドのノート、続いてネマツァデのノートを見て「よく出来ました」のサインをするのだった。
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アハマッドが野山を全速力で走るが、現地に着いてみると、5分前に出かけたところだ、などで何度も何度も走る。走る。まるで、バスター・キートンのように。
8歳前後の子供たちが、純朴で生き生きしている。戦後まもない頃の「二十四の瞳」の子供たちにダブって見えた(笑)。