麻薬中毒者に扮するフランク・シナトラは、その禁断症状に苦しむ迫真の演技によりアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。そのほか作曲賞にエルマー・バーンスタイン、美術賞にジョセフ・C・ライトとダレル・シルヴェラもノミネートされたが受賞を逃した。
映画に初めてモダンジャズが映画音楽として登場した作品。オープニングから、50年代の映画音楽のスタンダードにもなったあのジャズが流れる。このテーマ曲は、途中で数回流れるがいずれも主人公が、麻薬に再び手を出してしまうなどの場面で効果的に使われている。
映画を見ていないという人も、このジャズの音楽を聞けば、「あ、この音楽だったか」と納得するはず。 こちら↓。
ジャズのテーマ曲
↑この音楽、映画の中で、ハイライト・シーンになると必ず登場し、耳に残る。
ソウル・バスのタイトル・デザインと音楽の導入部はこのようなもの↓。
しびれる導入部
原題の“黄金の腕”とは、カード・ギャンブルの名手フランキー(フランク・シナトラ)のあだ名である。決して金色をした義手ではない(笑)。
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カードの名手フランキー・マシーン(フランク・シナトラ)は、六ヶ月の療養所生活を終え、古巣の町に戻ってきた。アパートには車椅子生活の妻ザシュ(エリノア・パーカー)が待っていた。
夫の飲酒運転の結果、背中と足を怪我したのだが、実はすでに足は治っており、車いすは偽装だった。フランキーが自分から離れないようにするために、不具を装っていたのだ。フランキーは博奕打ちの暮らしに戻りたくはなく、施設で持ち前のリズム感を生かしドラムの修行を受けていた。
しかし、妻にとってはディーラーの彼こそがよき稼ぎ手であり、そのため再び麻薬に手を出すことも厭わないといった気配を漂わせていた。
売人のルイがフランキーを利用して金儲けしようと影のようにつきまとう。そんなフランキーを親身に心配してくれるのは、酒場のホステス、モリー(キム・ノヴァク)だけだった。そのモリ―にも今はヤクザな別の男がいた。やがて、フランキーにドラマーのオーディションの口がかかる。
恋人の目を盗んで練習に部屋を提供してくれたモリーの期待に背き、腐れ縁から受けた賭博が長丁場になり、その間、麻薬を打ち続けたフランキーは完全なジャンキーとなって、楽団入りのチャンスを逃してしまう・・・。
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クスリ(麻薬)の売人の男ルイは、「一度でも麻薬に手を出すと、必ず二度、三度と手を出し、抜けられなくなる」と語っていたが、主人公のフランキーもまさにそうだった。
「ヤク(麻薬)は抜けた」とドラマーの新しい人生を歩もうとするが、手が震えてきて、禁断症状もMAXとなり売人に注射を迫る姿が恐ろしい。注射1本が5ドルという。当時の5ドルは、映画でホットドッグが10セント(100円)とあったところから見ると、5,000円相当か。
しかも、麻薬ディーラーを階段から突き落として殺してしまっていたので、最後には自ら身投げして自殺してしまう。殺人の嫌疑をかけられていたフランキーは呆然とするばかりだった。
このエリノア・パーカーは「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)にも出演しているが、代表作は「女囚の掟」(原題:Caged)「探偵物語」(原題: Detective Story、1951)などがある。
キム・ノヴァクの熱演も光る。
ノヴァクは、1950年代に多くの映画に主演し、「ピクニック」(原題: Picnic,1955)、をはじめ「愛情物語」(原題:The Eddy Duchin Story、1956)、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」(原題:Vertigo、1958)などの作品は日本でも大ヒットした。
この映画は何といっても、フランク・シナトラ。
すでにアメリカの大歌手としての地位を築いていたが、ややブランクがあり、1953年にguchさん一押しの傑作「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(原題:From Here to Eter-nity, 1953)でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
これはフレッド・ジンネマン監督の第二次世界大戦前夜のアメリカ軍兵士を描いた文芸映画。脇役であるイタリア系アメリカ人兵士「マッジオ」役に抜擢され、結果的にこれが大きな転機となった。この後、俳優としても「黄金の腕」により不動の地位を築くことになった。
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