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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「砲艦サンパブロ」(1966)スティーヴ・マックィーン主演。

 砲艦サンパブロ」(原題:The Sand Pebbles, 1966)を見た。
製作・監督は「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」の巨匠ロバート・ワイズ。原作は1942年にベスト・セラーとなったリチャード・マッケナの小説「サンパブロ号乗組員」。音楽はジェリー・ゴールドスミス
 
出演は「ネバダ・スミス」のスティーヴ・マックィーン、「グループ」のキャンディス・バーゲン、「飛べ!フェニックス」のリチャード・アッテンボローのほかリチャード・クレンナ、マラヤット・アンドリアン、マコ岩松など。
 
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「今ごろ見たのか?」と突っ込まれる前にいうと、途中に「インターミッション〈休憩)」をはさんで3時間16分の長尺で、1920年代の中国を舞台の米中ものということで当時は興味が薄く、あえて避けてきた作品。テレビでは、かつて前・後編2回に分けて放送(1972年)があり、一度トライしたがギブアップしたいきさつもある。
 
この度、スティーブ・マックィーンの投票を行ったところ票も入っていたのと、私が「砲艦サンパブロ」を未見と知ったguchさんから「見ていないなら(DVDを)送りつけるぞ」というブラックメールがあったので(笑)、急遽見たのだった。
 
それはともかく、「中国」が建国される前の時代で、中国の混乱ぶりと歴史に翻弄されたアメリカの軍人たちの生き様が描かれて、興味深かった。
 
90年たったいまでも、米中の反目は続いているが。リチャード・アッテンボローと貧しい中国人女性、スティーヴ・マックィーンアメリカ人の女性伝道師(キャンディス・バーゲン)との2組の男女のラブストーリーも描きつつ、国家間の争いの不条理を描いている。
 
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1926年、中国。
中国統一を夢みる中国人の排外思想が激しくなり、デモが暴徒と化していた。
列国は揚子江沿岸の権益と人命財産を守るため艦艇を出動させていたが、アメリカの砲艦サンパブロ号もその1つであった。
 
     砲艦サンパブロに赴任してきたホルマンスティーヴ・マックィーン
 
ある日その砲艦にホルマンスティーヴ・マックィーン)という1等機関兵が赴任して来た。彼は旅の途中、伝道学校の教師としてアメリカからはるばるやって来た美しい女性シャーリー(キャンディス・バーゲン)と親しくなった。そして彼女の魅力にひかれたが、そのまま別れてサンパブロ号の一員となったのである。
 
 
ホルマンは意外にも砲艦が中国人の支配下にあり、コリンズ艦長(リチャード・クレンナ)でさえままならぬ状態にいることを知り、機関室だけでも自分が責任を持とうとしたが、中国人乗組員は彼に非難の目を向け、それを阻止した。
 
ホルマンが艦内で親しくなったのはフレンチー(リチャード・アッテンボロー)だけで、ふたりはよく一緒に上陸しては酒場へ出かけた。フレンチーは酒場の女メイリーマラヤット・アンドリアン)が好きになり、何とか彼女を見受けしたいと考えた。
 
          メイリー(左)とフレンチー(R.アッテンボロー
 
そんな時揚子江沿岸の事態が急に悪化しアメリカ宣教師ジェームソンが阿片を栽培した罪で国民軍に捕らえられた。アメリカ側と中国側との折衝がなって、彼は許されたが伝道団の人々は軍に保護されることを拒絶した。
 
艦は彼らを残し上海へ引揚げることになった。
一方フレンチーもホルマンの協力でライバルたちを一蹴し、メイリーと結婚した。
いよいよ中国民の示威運動が激烈になり、サンパブロ号もついに動けなくなってしまった。
 
何カ月もそんな状態が続いた。暴徒の手は身重のメイリーの上にも及び彼女は空しく死んでいった。そして蒋介石が南京を占拠、米海兵隊の上海上陸の報が入ると、コリンズ艦長は名誉回復をせんものと宣教師たちの救出に向かった。
 
しかし団長のジェームソンは伝道団は絶対中立だと主張して動かなかった。
激しい戦闘のなかでコリンズ艦長は戦死し、ホルマンはひとり最後まで踏みとどまり、シャーリーたちを艦内に避難させた。そして彼は敵弾をうけて栄光の死をとげた(MovieWalker)。
 
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見所は多かった。
アメリカ軍人フレンチー(リチャード・アッテンボロー)との間に子供を身ごもった中国人女性メイリーマラヤット・アンドリアン)が、同じ中国人に殺されるのだが、アメリカ人水兵ホルマンスティーヴ・マックィーン)に濡れ衣が着せられてしまう。サンパブロ号のアメリカ軍に対して、「ホルマンを引き渡せ(ホルマン、カムダウン!)」と叫ぶ中国人たちの執拗な叫びが印象的だった。
 
中国の国内は共産軍と国民党軍が激しく争いをする政情不安の時代で、外国人を排斥していた。そんな中国の長江に停泊していたのがアメリカのオンボロ砲艦サンパブロ号だった。一等機関兵ホルマンが赴任してきたが、艦の運行は中国人に任されていて、機関室を仕切っていたチェンが事故で亡くなり、後釜を育てなくてはならなかった。その後釜を、ホルマンはポー・ハン(マコ岩松)に決め育成を始めた。
 
     ボー・ハン(マコ岩松)(左)とホルマンスティーヴ・マックィーン

このポー・ハンを演じたマコ岩松がすばらしい。

このボー・ハンが、腕っ節の強そうな大男とボクシングで戦うシーンは圧巻。
ちょうどチャップリンの「街の灯」で力では弱いチャップリンが相手の一瞬のスキを狙って、倒してしまうというシーンにも似ていた。
 
それは、ホルマンから、何度もアドバイスされていたことだが、相手のお腹を狙い打ちしろというものだった。案の定、頭ずきで相手の腹に一撃を加えると、相手はよろけ、劣勢になっていった。そしてハンが勝利を収めるのだった。
 
しかし、ハンも裏切り者のレッテルを貼られて、中国共産軍に捕まり船の前で拷問にあってしまう。見るに見かねたホルマンはポー・ハンを狙撃して絶命させてしまうというのも、辛いものがある。マコ岩松は、この映画で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
 
キャンディス・バーゲンは、1966年に「グループ」でデビューして、2作目が、同じ年に製作された「砲艦サンパブロ」だった。当時20歳とは思えぬ落ち着きが感じられた。この映画以降、バーゲンは「パリのめぐり逢い」を始め「…YOU…」「ソルジャー・ブルー」「愛の狩人」「さらば荒野」などに立て続けに主演し、日本でも人気女優の一人となった。
 
この映画でホルマンスティーヴ・マックィーン)がつぶやく一言「(自分は常に)国といたのに、何があったんだ」というラスト・ワードが印象に残る。女宣教師(C・バーゲン)を含む3人は生き延びるが、その後どうなったかは語られず映画は終わる。後味がすっきりした映画ではないが、最後まで信念を貫いたホルマンの生き様などが描かれ見応えがあった。
 
舞台は中国だが、撮影は台湾と香港であったというクレジットが最後に出ていた。
 
「砲艦サンパブロ」(原題:The Sand Pebbles, 1966)
製作・監督:ロバート・ワイズ
原作:リチャード・マッケナ
脚色:ロバート・アンダーソン
出演:
リチャード・クレンナ
フォード・レイニー
マラヤット・アンドリアン
上映時間:196分
 
 
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