よく知られるように、邦題は「続・荒野の用心棒」だが、セルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」と部分的なプロットは似ているが、配給会社(東和)がつけた邦題であって続編ではない。正規の続編は「夕陽のガンマン」。
「毎日新聞」の2008年12月16日付けの夕刊で、「ローマ人のウエスタン」というシリーズ記事に「続・荒野の用心棒」という小見出しの記事があって、以前に紹介したことがある。 (こちら:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/55942268.html )
フランコ・ネロ=ジャンゴ(役柄名)と言うイメージが一般的に強く、ネロによると、170本もの映画に出演しているが「あの役柄(ジャンゴ)が尾を引いている。皆あの映画にとらわれすぎだよ」と語り、似たような役柄のオファーがハリウッドから多数来たが、全て断ったという。
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メキシコとの国境にほど近い小さな村。
ある日、国境にある底なし沼で混血娘マリア(ロレダーナ・ヌシアク)が、将軍の部下と少佐の部下に相次いで危害を加えられようとしていた。ちょうどその時、古ぼけた棺桶をひきずり丘の上にたたずむ男がいた。
男は目にもとまらぬ早技でマリアを救った。
この男が国境地方で名を売った早射ちの用心棒ジャンゴ(フランコ・ネロ)だった。
ジャンゴはマリアを連れて、ナタニエーレの酒場で休むことにした。
ほどなく少佐の部下達が酒場に現れ、けたはずれの用心棒代をナタニエーレに強要し、からんだ。ジャンゴの二度目の早射ちが見れたのはこの時だった。
やがて復讐の念に燃えた少佐の一味が四十人の手下を従えて姿を現した。
おもむろに棺桶から機関銃を取り出すと、一斉掃射で撃ち続け、ジャンゴの前には死者の山ができた。(これがクセになるほどすごい威力を発揮。)
一方、将軍たちは革命のために機関銃を着々と集めていた。
そんなある日、メキシコ政府軍営舎に多量の黄金があるとの情報が入った。
資金集めにとって、営舎襲撃はかっこうのチャンスだった。
ジャンゴの腕を見込んだ将軍は、黄金を折半することで手を握った。
襲撃は成功した。しかし将軍は黄金の分け前を渡してくれぬばかりか、ジャンゴを邪魔者扱いするのだった。
怒ったジャンゴは黄金を棺に詰めこむとマリアと村から逃げだした。
ところがつり橋のところで馬車が急に傾き、棺はそこなし沼に落ちてしまった。
棺捜しにもたついているうちに、将軍の追手が姿を現し、ジャンゴは捉えられた。
そして二度と銃を握れぬように馬の蹄でジャンゴの両手もこなごなに踏みつぶして去った。
そしてメキシコに向う将軍たちは、待ち伏せた少佐たちに、皆殺しにされてしまった。傷ついた腕をかかえ酒場に戻ったジャンゴを少佐達は墓場へ呼びよせた。
積り積った恨みをこめて、少佐たちはジャンゴを狙った。
しかしながら、次の瞬間倒されたのは少佐達だった。
激痛に耐えて、ピストルに細工をし、墓標でピストルを支え、げき鉄を利用してのジャンゴの執念の闘いだった。(MovieWalker)。
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この映画のフランコ・ネロ演じるジャンゴは、マカロニ・ウエスタンに登場するキャラクターとは明らかに違う。「世を捨てることを生きがいにしてきた」と語っている。世捨て人の構えだ。しかもクールで思慮深く、内面性まで描かれている。
「奴らが戻ったら殺されるぞ」と言われると「俺の予定に変更はない」だ。
ジャクソン少佐の一味を、一度に150発の弾を撃てるという機関銃で、一網打尽にしたところで、酒場の主が「少佐を殺したか?」とジャンゴに聞くと、「逃がした」という。
「なぜだ」「まだ(殺す)時期ではない。利用価値がある」というのだ。
ラストシーンで、少佐の一味をおびき出し、待ち構えるジャンゴだが、両手が痛めつけられて自由に動かすことができず、十字の墓標の上に銃を固定して、連射するのだが、うまくいくものなのか、疑問も残る。
マカロニ・ウエスタンの中では、ジャンゴとマリア、陽のあたらない人生を送って来た二人の痛いほどのラブ・ストーリーでもある。その行く末は描かれないが、ラストシーンで闘いを終えたジャンゴがゆっくりと歩み出す。負傷しているマリアが待つ酒場へと向かうのだ・・・。
不気味な赤装束の一味。
ジャンゴのテーマ音楽は印象深い。
リンチなどの残酷なシーンも多い。耳を切って、口に押し込んだり。そのため、各国で上映禁止、あるいは年齢制限がなされた。イギリスでは日本の映倫に相当する検閲機関であるBBFC(全英映像等級審査機構)により、1993年になって18禁として許可された。
一方、本作品の残酷な描写やダーティな映像、リアリティを度外視した演出は、後に多数製作されたマカロニ・ウエスタンにおいて、ひとつのスタイルとして受け継がれていった。
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