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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ブーベの恋人」(1963):再度登場。哀愁の音楽とC.カルディナーレ。

 
先日、「新橋古書まつり」で、映画本を2冊購入した。
そのうちの一冊が1964年10月号「映画の友」で、500円だった。
 
1964年10月といえば、10月10日から「東京オリンピック」が始まり、日本中がオリンピック・ムード一色の頃だった。家のテレビはまだモノクロで、カラーは、翌年くらいに購入したかもしれない。
 
ところで「映画の友」(1964年10月号)の表紙は、クラウディア・カルディナーレだった。「ブーベの恋人」が9月に公開されて、人気がうなぎのぼりだったからだろう。
 
 
ブーベの恋人」を始めてみたのはテレビだったが、導入部から、目頭を熱くさせる映画だった。列車の窓に映る美しい女のシルエット。白いスカーフを巻いたマーラ(クラウディア・カルディナーレ)の表情は、憂いを含んでいた。
 
きょうも、列車で監獄のブーベ(ジョージ・チャキリス)の面会に行くところだ。
「ウエストサイド物語」の出演で最も人気を得たジョージ・チャキリスは、「ブーベ」によってその人気が日本で沸騰した。
 
マーラは、14年間も、面会に通い続けるのだ
 
ひたすらブーベの釈放を待ちながら・・・。そんな導入部とナレーションで、場面は一転して、マーラとブーベの出会いや思い出などの回想シーンに移っていく。
 
このような純愛のメロドラマが、日本人には受けて、大ヒットした。
 
 
 
日本では、お涙頂戴の究極のすれ違いメロドラマ「君の名は」が放送された時には、日本中の銭湯の女湯は空っぽになったほどで、映画は親の世代だが、テレビのシリーズでは、見ていた。
 
 
「ブーベの恋人」のサントラは大ヒット。
 
  サントラ
 
テーマ曲に詩をつけて、ザ・ピーナッツが歌って、これもヒットした。
当時は、ラジオから毎日流れていた。
 
 
  
「映画の友」の巻末を見ると、「日曜洋画劇場」で解説を始める前の淀川長治(編集長)、小森和子などの懐かしい名前がある。
 
 
淀長さんは、雑誌「映画世界」(南部圭之介編集長)の会社に入り、その後、ユナイテッド・アーチスト(UA)大阪支社、セントラル映画社などを経て、1951年に「映画の友」に入社。
 
1960年から1963年までアメリカの西部劇ドラマ「ララミー牧場」の解説で人気を得ていた。”さよならさよならさなよら”はこの時に始まっていた。1966年から「日曜洋画劇場」の解説は、淀長さんが亡くなるまでの32年間も続く番組となった。
 
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