遊川が語っていた言葉で一番印象に残ったのは「リアリティ」と「オリジナリティ」にこだわるということだった。自分の友人の奥さんが喋ったこと、妻(昨年なんと20歳年下の一般女性と結婚)の言葉など面白いのはすぐに取り入れるという。確かにセリフひとつとってもウソっぽいのは敬遠される。
連ドラは、毎回スパイスとなるようなことを入れて、次回も見たくなるような作品にしていくという。司会が「遊川さんは、第一話は、出演者・俳優の責任と語ったそうで、俳優がプレッシャーを感じているようですが」というと、少し違うという。
「俳優には、心配しないでのびのびやってください。2話目以降は自分が責任を持ちますから」といったのだとか。
また現場によく顔を出し、口出しもするようだ。
このことについては、演出家に「提案はします」と否定はせず認めた。
「演出家と遊川さんが折り合わなかったら」には、「結論は、プロデューサーです」だった。「○○妻」では、口を滑られて、名指しこそしなかったが「主演女優」とも意見を述べあったようだ。
鬼教師が児童を徹底的に管理するといった番組内容が大きな反響を呼び、初回から日本テレビに抗議の電話が殺到した。番組ホームページの掲示板は賛否両論、議論が沸騰。自身も初めて視聴者に「放送をやめろ」と言われたが、プロデューサーと覚悟を決めて曲げずに信念を貫き、本作によって学園ドラマの新境地を開いた。同作品で、第24回向田邦子賞受賞。TBSの日曜劇場では、田村正和が主演を務めるドラマの脚本を多数手がけている。他にも松嶋菜々子が主演した作品を手掛けることも多く、それらの多くがヒットしている。
特に2011年に彼女が主演した日本テレビの「家政婦のミタ」は、最終回でドラマ視聴率史上歴代4位タイ(放送当時は3位タイ)となる40.0%(21世紀のドラマでは歴代2位、放送当時1位)という、ドラマとしては11年ぶりの高視聴率を記録した。この作品では、2012年東京ドラマアウォード 脚本賞を受賞した。
主な連ドラ作品:
オヨビでない奴!(1987年、TBS)
金太十番勝負!(1988年、フジテレビ)
ママハハ・ブギ(1989年、TBS)
予備校ブギ(1990年、TBS)
学校へ行こう!(1991年、フジテレビ)
ADブギ(1991年、TBS)
十年愛(1992年、TBS)
もしも願いが叶うなら(1994年、TBS)
禁断の果実(1994年、日本テレビ)
人生は上々だ(1995年、TBS)
真昼の月(1996年、TBS)
智子と知子(1997年、TBS)
魔女の条件(1999年、TBS)
オヤジぃ。(2000年、TBS)
お前の諭吉が泣いている(2001年、テレビ朝日)
恋がしたい恋がしたい恋がしたい(2001年、TBS)
フレーフレー人生!(2001年、読売テレビ)※企画・原案担当
おとうさん(2002年、TBS)
夫婦。(2004年、TBS)
誰よりもママを愛す(2006年、TBS)
学校じゃ教えられない!(2008年、日本テレビ)
リミット-刑事の現場2-(2009年、NHK)
リバウンド(2011年、日本テレビ)
○○妻(2015年、日本テレビ)
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かなり挑戦的・挑発的な人物のようだ。
「無理難題からストーリーを作る。それこそ脚本家がやらないといけない。絶対に面白いモノを作ってやる。でも、今のテレビ局にこの企画(※)に乗る勇気があるのか」(遊川)。
※「マッサージ師」「ラブ・ストーリー」「泥沼に咲く花」の3つのテーマでドラマを制作せよ、というのが遊川への挑戦状だった。ドラマ「30分だけの愛」は、2月24日~26日まで三夜(深夜)放送。
今、最も売れっ子の脚本家のひとりであることは間違いないようだ。
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