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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「アイム・ノット・ゼア」(ケイト・ブランシェット主演)

 
 
 
この映画「アイム・ノット・ゼア」(原題:I'm Not There、2008)は、ボブ・ディランを知らない人には、さっぱりわからない映画かもしれない(fpdにとっても難解な映画だった)。
 
ケイト・ブランシェットが出演(アカデミー賞助演女優賞ノミネート)しているということで、”軽い”気持ちで見たのだが、背景も知らないままに見たので、時代背景が1960年代半ばから1970年代前半なので、この映画にも名前が出てくるエルビス・プレスリービートルズなどはよく知っていても、ガロの「学生街の喫茶店」の歌詞の中で、ボブ・ディランの名前が出てくるなと知っているくらいは、知っているうちには入らない。
 
♪君とよくこの店に 来たものさ
訳もなくお茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の
片隅で聴いていた ボブ・ディラン
あの時の歌は聴こえない
人の姿も変わったよ
時は流れた♪
 
この映画は「ボブ・ディラン」を話題にした映画だが、ボブ・ディランはまったく出てこないし、ボブ・ディランという名前すら登場しない。6人のボブ・ディランかと思われるようなイメージの人たちが登場し、ストーリーはない。
 
           中央下がケイト・ブランシェット(さすが!)
 
解説で読んで知ったのだが、現在も活躍するボブ・ディラン(1941年5月生まれ~)のこれまでの生涯で、オートバイ事故やエレキを持って登場し「ユダ!(裏切り者)」と叫ばれるライブ、キリスト教への改宗など、を知っていれば、まさにディランだ!と思うことになるというのだが・・・。

ボブ・ディランの言動、行動の不可解さが描かれているということを前提にすれば、そういったシーンが多く登場する。驚いたのは、ケイト・ブランシェットである。
 
映画で神父に扮しているのは、今人気がある俳優の一人、クリスチャン・ベイル(「アメリカン・ハッスル」)だが、しばらくケイト・ブランシェットはどこにいる・・・と思ってみていたら、驚くべき登場、役柄だった!
 
 
ケイト・ブランシェットが、男性歌手ジュード・クインとして、男装というのではなく、声質もすべて男として登場している。もともと、ブランシェットは、中性的な雰囲気もある。声も低音にして、不自然さは感じられない。その発言は「政治的フォークは死んだ。歌詞の無意味さこそ喜びだ。”伝承音楽(traditional music)”だ」に集約されそうだ。
 
この作品には、西部劇スタイルのリチャード・ギアのほか、ミシェル・ウイリアムヒース・レジャーなども出演している。
 
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ボブ・ディランと言えば、グラミー賞アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている国民的スター。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章。詩人としてノーベル文学賞の候補者に名前が上がったこともある。2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞している。
 
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タイトルの「I'm Not There」(私はそこにいない)の意味はよくわからないが、ボブ・ディランがいないということなのか・・・。蛇足だが、ケイト・ブランシェットは、お気に入り映画「あるスキャンダルの覚え書き」では、中学生生徒との不適切な関係のスキャンダルで、自宅にマスコミが押し掛けるが、「I’m HERE!」(私は、ここにいる)と宣言するシーンが印象的だ。
 
アイム・ノット・ゼア」は、まとまりのないごった煮のような映画で、セリフの中にも「カオス(混沌)」だの「シュール(難解で奇抜)」といった言葉も出てくる意味不明の映画だが、ボブ・ディラン・ファンに言わせると傑作なのだそうだ。何かを象徴しているのか、画面に大きな毒蜘蛛(タランチュラ)のシルエットが登場する。
 
2メートルもあろうかという毒蜘蛛なのだが、シルエットだけなので、大きな蜘蛛だけは苦手・・・というジーナさが見ても、大丈夫か(笑)。
 
追加:原題通りの邦題「アイム・ノット・ゼア」は、ほかになかったのか。「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」といい、首をひねってしまうカタカナ・タイトルが多い。
  
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