映画「ガマの油」(2009)は、世界をまたにかけて活躍する日本映画界の名優、役所
広司が約2年の企画構想期間を経て完成させた初監督作品。
二階堂ふみは、今大注目の若手女優の一人で、「悪の教典」「脳男」「地獄でなぜ悪い」「四十九日のレシピ」などが公開されているが、来年(2014年)以降も「私の男」「ほとりの朔子」「渇き。」などが控えている。
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「ガマの油」は、外国のお城か豪邸のような屋敷が映し出されると、豪邸の仕事部屋の一室にはパソコンのモニターが10台近く並べられていた。
しかし、悲劇は突然やってきた。
拓也が自動車事故に遭って植物人間となってしまったのだ。
悲嘆にくれる拓郎は、拓也の携帯電話に掛かってきた発信に思わず出てしまう。
その相手は、拓也の恋人である光(ひかり)(二階堂ふみ)だった。拓也の現状を言い出しかねて、拓郎は拓也の振りをして光と会話した。
そこでサブローが知ったのは、遂に死に至ってしまった拓郎の運命だった。
その事実を光に伝えようとするサブローを止める拓郎は、二人で拓也の散骨のための旅に出る。
旅の途中で山に迷い込んだ拓郎たちは、野生の熊に出会う。逃れようとした拓郎は、谷に落ちて仮死状態に陥った。そこで拓郎は、拓也と再会する。
幼い頃、両親と死に別れた拓郎だが、自分の息子とは再会することができた。
仮死状態から甦った拓郎は、息子の死という悲しい事実をようやく受け入れる。そして、それを自分から光に伝えることを決意する。新たな一歩を踏み出した拓郎を、ガマの油売りはやさしく見守っていた(MovieWalkerより)。
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光は拓也との待ち合わせで渋谷にいた。
携帯でお互いの場所を確認するが、渋谷は3度目という光にとっては、待ち合わせで立っているだけで、さまざまな男から声をかけられ、その都度場所を移動する。ようやく会った二人だが、拓也は用事が出来てすぐに帰ってしまう。その帰路、拓也が自動車事故に会うのだった。
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拓也の留守番電話に光からのメッセージが。そこには「拓也のバカ、拓也のバカ、拓也のバカ」と残されていた。拓郎は「女のバカは愛しているということだ。俺も若いころ3人の女からバカ、バカ、バカと言われた」と拓也もなかなかやるな、という思いと、拓也が亡くなった悲しみとが入り乱れてこみあげてくる。
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光と拓也の間では、「なるへそ」など合言葉が交わされていたが、拓也が亡くなった後でも、拓郎に拓也のふりをしてほしいと拓郎に頼む。拓也の死を受け入れられないのだ。そして、光と拓郎が会う日がやってくる・・・。
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戦前に父親が紙芝居などで聞いていたものを、昭和30年代になってfpdなど子供たちに聞かせていたのだろう。「黄金バット」などの紙芝居の話もしていた。そんな中に、車寅次郎の口上ではないが「ガマの油」もあった。
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「ガマの油」の口上はあまりにも有名だが、こんなようなものだ。
”サアーサアーお立ち会い ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで”から始まって、”遠出山越え笠のうち、聞かざる時は物の白黒出方善悪がとんと分からない、山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴ると言いども 童子来って鐘にしゅもくを当てざればとんとカネの音色がわからない。”
”サテお立ち会い 手前ここに取りいだしたるは筑波山名物ガマの油、ガマと申してもただのガマとガマが違う、これより北、北は筑波山のふもとは、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ、四六五六はどこで見分ける。
前足の指が四本、後足の指が六本合わせて四六のガマ、山中深く分け入って捕いましたるこのガマを四面鏡ばりの箱に入れるときは、ガマはおのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと油汗を流す、これをすきとり柳の小枝にて 三七二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるがこのガマの油。・・・”
映画「ガマの油」は、「ガマの油」の言い伝えからヒントを得て作られた映画で、”007”ではないが、人間は二度死ぬという。一回目が、実際に肉体的に死んだとき。二度目は、人々から忘れられた時だという・・・これがこの映画のテーマだったようだ。
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