きのう8月16日に観た。
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)と呼ばれる、それまでの伝統的な、型にハマった映画を否定して、若い映像作家による映画が登場した1960年前後のフランスの映画界。
1959年5月、カンヌ映画祭で、1本の映画がセンセーションを巻き起こした。
ヌーヴェルヴァーグの名を世界に知らしめた映画、フランソワ・トリュフォー監督の
「大人は判ってくれない」(1959)である。
この映画は、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。そのすぐ後に、ジャン=リュック・ゴダール監督が「勝手にしやがれ」を発表して、ヌーヴェルヴァーグの評価が固まった。「勝手にしやがれ」は、映画の文法などは無視した自由な作品だった。J.P(ジャン・ポール)ベルモンドが走り、手持ちカメラのカメラマンが追うという映像が新鮮に映る。
「大人は判ってくれない」がデビュー作となったジャン=ピエール・レオーは、この時12、13歳。ヌーヴェルヴァーグの盟友二人(トリュフォーとゴダール)の作品に出演していくが、この二人は、友情と共闘の末、1968年5月革命ののちに決別していく。
トリュフォーは、映画を芸術として愛し、追求していくが、ゴダールは、商業映画からは身を引いてしまう。トリュフォーが「アメリカの夜」を撮った時に、ゴダールは酷評したばかりか、レオーをもけなした手紙を送りつけたエピソードもあった。
”ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか”が、トリュフォーやゴダールの生の声で語られており、意気込みが感じられる。これらヌーヴェルバーグの拠点となったのが、国会答弁で涙を見せてしまった海江田でなく「カイエ・ド・シネマ」雑誌。トリュフォーなどは、この雑誌に批評を書いたりしている。J.P.レオーの「大人は判ってくれない」のカメラ・テストの場面など貴重な映像もあった。活発で自信たっぷりの子供だったようだ。
ヌーヴェルヴァーグの記録映画として、興味深かった。
この映画以外にも、50周年特集として「女と男のいる舗道」なども公開されている。
「大人は判ってくれない」のラスト・シーンで、J.P.レオーが、カメラ目線でカメラに向かっているところで終わる。これは、観賞する観客(大人)に、(新しい映画の評価を)問うているようにも見える。
映画史を塗り替えるほどの大きなうねりだったが、賛否両論があったようだ。
イタ・フラ(イタリア・フランス)映画もこのところご無沙汰していることを再認識させられた映画だった。
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