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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「シベールの日曜日」(1962)</span>





シベールの日曜日」(原題:Les dimanches de Ville d'Avray (Sundays 
in Ville d'Avray)1962)は、セルジュ・ブールギニョン監督のフランス映画。淀川さん流に言えば「とにかくモノクロの画面がきれいきれい」(笑)。

フランスの作家ベルナール・エシャスリオーの小説「ビル・ダブレの日曜日」を短編映画「微笑」のセルジュ・ブールギニョンアントワーヌ・チュダルが脚色し、ブールギニョンが監督した記憶喪失症の青年と少女との純愛ドラマ。撮影は「生きる歓び」「太陽がいっぱい」のアンリ・ドカエ音楽は「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャール

アカデミー外国映画最優秀作品賞、ベニス映画祭特別賞、アメリカ・アート・シアター賞などを受賞した。黒白・フランスコープ。
 
出演は「ハタリ!」のハーディ・クリューガー、新人子役パトリシア・ゴッジ、「ラインの仮橋」のニコール・クールセルダニエル・イヴェルネルなど。
 
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戦争中パイロットだったピエール(ハーディ・クリューガー)は戦線で少女を射殺したと思いこみ、それ以来、みずから激しい戦に加わり、墜落のショックで彼は記憶喪失性となった。
 
恋人マドレーヌ(ニコール・クールセル)の愛情も、友人である芸術家カルロスの友情もピエールの孤独な心を救えなかった。彼はあてもなく町をさまよい歩いた。
 
あるたそがれ時、ピエールは町で一人の少女(パトリシア・ゴッジ)に会った。少女の名はフランソワズで寄宿学校に入れられていた。父親から見捨てられたのだ。


 
二人は日曜日ごとに会い、互に孤独な二人の間には汚れのない愛情が生れていった。日曜日は二人にとって貴重な時間となったが、この日曜日を守るために、彼等は周囲に嘘をいわねばならなかった。マドレーヌもこの嘘に気づき心配して後を追ったが、池の畔で遊ぶ二人の姿は汚れのない美しいものだった。
 
ピエールと少女は父と娘として装ってきたが、そんな嘘はいつまでもつづくはずがなかった。クリスマスがやってきた。いつものように二人は池の畔で楽しいクリスマスイブを過ごしていた。
 
いまはピエールを唯一の友人と思っている彼女は、はじめて本当の名前はシベールだと告げるのだった。一方、マドレーヌはピエールの不在に気づき相談相手の医師ベルナールに助けを求めた。ピエールを頭から変質者扱いにしている彼は早速警察に連絡した。
 
警察もベルナールと同じく父親でもない男が少女と恋人同士のようにしているのに少女の危険を感じた。警官達は二人の楽しいクリスマスの現場に踏み込んできた。彼等はピエールにピストルを向けた。ピエールは死んだ。シベールは池の畔でいつまでも泣き続けた・・・。ピエールもいなくなった。シベールはまた一人ぼっちになってしまったのだMovieWalker)
 
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この映画を劇場で見た時に、モノクロの画面の静寂な美しさに驚いた。
撮影(カメラ)がアンリ・ドカエと聞けば納得。ルネ・クレマン(「太陽がいっぱい」、フランソワ・トリュフォー<「大人は判ってくれない」ルイ・マル(「死刑台のエレベーター」)、ジャン・ピエール・メルヴィル(「仁義」)などを撮っている。名作にドカエあり♪
 
記憶喪失の中年男と少女の逢瀬ということで、本人たちは純粋でも、まわりは奇妙に思ったにちがいない。そこから生まれた悲劇を描いているが、それ以上に、水墨画のような白黒の映像が目に焼き付く。珠玉の名品とはこういう映画のことだろう。 

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ところで、きょう日曜日に、新大久保駅近くに用事で出かけた。
すると、近くに喫茶店を見かけた。その店の名前は・・・。

















そこで「シュベール日曜日」(うーん、苦しい。)

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