「ベン・ハー」(1959)を、東京国際映画祭の「屋外上映」で見た。10月24日~11月1日まで、東京国際映画祭開催期間中、日比谷ステップ広場で、全29作品が無料上映されている。
10分前くらいに行ったら、平日の午前中でもあり、客席はパラパラと数名。映画の最初の10分くらいは「OVERTURE(序曲)」の音楽がかかっていて、最終的に本編が始まるころには席数(約150席)の半分くらいが埋まった(最大で90人くらい)。
初見は1970年代初めの70ミリによるリバイバル上映だった。その後、テレビでも見ている。過酷なガレー船(奴隷船)のカイ漕ぎ、死闘が繰り広げられる戦車競走、メッサラとベン・ハーの友情に始まり宿敵となって対立していく過程、ミクロス・ローザの壮大な音楽などが脳裏に焼き付いていた。監督ウイリアム・ワイラー、アカデミー賞11部門受賞の色あせない名作。
ユダヤの王族の長男であるジュダ・ベン・ハーの数奇な運命が描かれる。
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ベン・ハーは、幾度かの予期せぬ奇跡的な助けにより、生き延びて、母と妹を牢獄に閉じ込めたメッサラへの復讐心だけが生きる目的となっていた。
囚人(奴隷)として鎖につながれていた時に、丘の途中で、奴隷の一部に水が与えられるが、ベン・ハーだけには水が与えられなかった。
しかし、その時に、目の前に「ある人」から水が差し出され、たっぷりと飲むことができ生き返った。そのある人は後姿しか見せないが、ローマ兵士もその人を見ると、なぜか後ずさりするのだった。
ガレー船では、敵が攻めてきたときに、ユダヤ人の奴隷は鎖につながれていたが、41番のベン・ハーだけは司令官であるアリアスの命令で、鎖が外された。
ある日、そんなベン・ハーに人生の転機が訪れる。偶然アリアスの命を救った事で、ベン・ハーはアリウスの養子となり、ローマの市民権を得たのだった。
ローマ人となったベン・ハーは、戦車を競わせる戦いの騎手として活躍していく。
メッサラは脱輪して、戦車の下敷きとなって無残な姿に。自由の身になったベン・ハーは、地下牢に捕らえられていた母と妹を探し始める。
しかし、2人は何とか過酷な環境下で生き延びていたものの、疫病(業病)に全身を蝕まれていた。
母と妹の2人は業病を隠し、死んだことにしてほしいと知人から知らせを聞いたベン・ハーは、ますますメッサラに対する復讐の炎を燃え上がらせるのだった…。
【最大の見どころ:戦車競走】
ベン・ハーは2人の仇を討つべく、戦車競技でメッサラに戦いを挑む。そして激しい戦いの末、メッサラが戦車から振り落とされ、後続の戦車に踏み潰されベン・ハーの勝利が確定した。
瀕死の重傷であったメッサラは、ベン・ハーに母と妹を実は生きており、業病の谷にいるという事を告げる。そして復讐を果たしたベン・ハーは、家族と再会するため業病の谷へと向かうのだった。
映画の後半、椅子席から離れて撮影
3時間半の長尺で、簡易椅子だったので、尻が痛かったが、久しぶりに大画面で「ベン・ハー」を見ることができたのは幸いだった。
「ベン・ハー」のブルーレイ(BD)はギドラさんから「四丁目」限定品で以前にゲット。